不味いといける

朝、トーストと目玉焼きを食べる。
残ったエスカルゴバターがあったので、パンに乘せて焼いたら、大変美味しかった。

先月大島から帰った時、旨いものばかり食べたことに危機感を覚え、この一ヶ月はまずいものをなるべく食べるように心がけていた。
ところがまずいものは、コンビニには売っていないのだ。
自分で作らねばならない。

味がしないというのが、自分の求める<まずさ>に一番近いのではないかと思い、工夫してまずいものを食べた。

コンビニで豆腐と野菜サラダを買い、両方を汚く混ぜ合わせ、ドレッシングをかけずに食べると、なかなかまずい。
お菓子コーナーに置いてある、小さい5個入りのチキンラーメンにお湯を注ぎ、1時間かけてゆっくり麺を伸ばすのもいい。

まずいものを作ることに成功すると、喜びの感情が湧いた。
プロセスが創造的だからかもしれない。
まずいものを口にして、それがまずかった瞬間、
「よし、いける!」
とつぶやいてしまったが、間違っていないと思う。
「いける」という言葉は、対象の絶対的評価ではなく、本人の内部における相対的評価を表現するためにあるのだ。

そろそろまずいものにも飽きてきた。
ここ数週間、不味いと思って作った手抜きカレーや手抜きシチューがうまかったりしているので、まずいものを頑張って作るのはやめることにする。
そしておそらく、まずいものを作ろうとするのをやめた途端、まずいものをうっかり作ることが多くなるのだ。

午前午後とツールの直し作業で忙しかった。
忙しさは徐々にではなく、堤防決壊のごとく一気に来る。

仕事後、久保田君と中野で待ち合わせ。
すっかり痩せ、体が一回り小さくなっていたので、はじめは誰だかわからなかった。
「玉金」で2時間ほど飲む。
串焼きを進めるが、食べるペースが昔に比べてずいぶん遅くなったとのこと。

8時に店を出て、安見君と合流。
3人で魚民に移動。
安見君が11月にやる芝居の内容が、昔マグでやった『ファミリーアフェア』に似ていたので、出演者であった久保田君を紹介したのだ。
人見知り同士の会話を仲立ちする。

間のもたなさを埋めるため、マグの過去公演の話を久保田君と話す。
『ラジコン少年』の話で盛り上がる。
11時まで話す。

11時半帰宅。
風呂にゆっくりつかる。
出た後、外の自販機でコーラを買って家に戻るだけで、汗がひいていた。
夏が終わったことを実感する。