つか芝居の前期と後期

6月のがざびぃ公演が確定した。
結局の所、自分の腹が決まるかどうかの問題だった。
例年ならば3月にフルマラソンがあるため、それまで満足に動けなかったが、今年はエントリーできなかったので今から動ける。
それならばやらない手はない。
芝居かマラソンをしてない時の自分なんて、真夜中にハンドミキサーを狂ったように回転させ、衝動ケーキを作るだけの能なしだ。

がざびぃの中野さんからメールが来る。
7月上旬のつかこうへい芝居の件について、再度勧められる。
『熱海殺人事件』『飛龍伝』『広島に原爆を落とす日』はすでにやる劇団が決まっているらしかった。
それ以外となると、『出発』『ヒモのはなし』『蒲田行進曲』『銀ちゃんが逝く』『松ヶ裏ゴドー戒』『郵便屋さんちょっと』などなど思い浮かぶ。
現実問題として、6月にマグの公演を終え、その3週後に同じ小屋でつか芝居を打つのは、かなりしんどい。
だが、気持ちとしてはやってみたい。

迷いながらも、久しぶりにつかこうへいの本をいくつか読み返す。

扇田昭彦さんは、昨年のシアターガイドに寄せた追悼文で、演劇活動を休止するまでのつか芝居と、復帰してからのつか芝居は、まったく別のものであると書いていた。
前期つか芝居の強力な武器であったという同時代性は、その時代を知らぬ自分には確認のしようがない。
だが確かに後期つか芝居には、90年代を共に生きているという同時代性はなかった。
どこかに70年代を引きずったアナクロさがあり、新しい観客である我々は、つか芝居とはこういうものなのだという学び方をしてきた。
かつてのつか芝居を知る人ほど、後期のつか芝居に違和感を感じたものだろうと想像できる。

『初級革命口座飛龍伝』と『飛龍伝』が、その差を最も顕著に表していると思う。
『初級革命口座飛龍伝』は、革命に挫折した父と、石を拾ってくる嫁と、父のライバルだった機動隊員のみ登場する、シンプルな芝居だ。
今読むと、どこが面白いのかよくわからない部分があるが、戯曲としての言葉の凝縮度はとても高い。
初めて上演された1973年においては、学生運動の記憶も生々しく、
「やること自体で受けるみたいな感じ」(平田満)
があったことだろう。
これが『飛龍伝’90』になると、まったく別の話になっている。
機動隊員の夫と学生運動家の妻による愛情物語であり、機動隊員と学生達による弾圧を反転させた友情物語であったと思う。
出演者も多かった。
その他大勢も含めると、20人以上出ていたのではないか。

『つかこうへいによるつかこうへいの世界』を読むと、前期つか事務所は少数精鋭だったのだなあと思う。
稽古場にいた役者の数は、それほど多くはなかったのではないか。
特に初期の早稲田時代などは、登場人物の少ない芝居を、少人数の役者で稽古していたものと思われる。

もし6月につか作品をやらせてもらえるとしたら、やはり前期のつか作品を選びたい。
そして、その同時代性は一体どういうものであったのかを検証してみたい。
となると、どの作品がいいのだろう。

どうも、やる方向で頭が回転し始めている。
焦らず、結論を少し先延ばしにする。

夜、トマトとチーズのオムレツを作る。
湯がいたトマトとチーズを包むだけだが、最近オムレツやオムライスの包み方が下手になっている。
できあがりが汚い。
フライパンの形のせいもあるし、あまり作らなくなったせいもある。
作らなくなれば忘れるものだ。