後輩芝居、ジョギング、現場検証

朝9時起き。
寝ぼけ眼でテーブルにあったクリームブランを食べる。
起きて布団をとり洗濯をする。
公演の稽古開始から本番終了までの40日間で、少しずつ部屋が散らかっていくのだが、公演が終わると特に片付けをしなくても、少しずつ部屋が整理されていく。
普段暮らしている時、本をしまったり洗い物をしたり床を掃いたり、一定のメンテナンスを行っている。
結果、部屋に自浄作用みたいなものができてくるのだが、稽古に入ると書類や資料の量が自浄作用を超える。
だから一気にではなく、徐々に部屋が散らかっていくのだ。
公演が終わると、同じく一気にではなく、徐々に部屋が片付いていく。

夕方4時に家を出て国分寺へ。
北口の「宝来」で、中華丼のセット食べる。
若者が数名談笑しながら定食を食べていた。
大学生にしては幼く見えた。高校生だろうか?

5時過ぎ、学芸大学へ。
学芸の森ホールにて、後輩の卒業公演を観る。
我々の頃は芸術館ホールと呼んでいた。
客席が舞台を囲むような配置になっており、下手と上手のブロックは見づらいために封鎖することがほとんどだった。
天井はかなり高く、空間をどう埋めるのかを考えないといけない点で、手応えのある劇場だと今にして思う。

今回は、客入れの段階から役者が誘導や前説を積極的にこなしていた。
お祭りに近い雰囲気があり、好感が持てた。
舞台も出はけ口を客席後方に作ってみたり、面白い使い方をしていた。

芝居は1時間と20分ほど。
客入れから芝居の導入まで、お客さんに飛び込んでくるような気安さがあったが、後半になるにつれみんな真面目に芝居をしていた。
カーテンコールを、客入れの時のような気安い感じでやれば、もっといい雰囲気になったかなと思う。

浅香が来ていた。
記念写真の列に入る。
もはや、恥ずかしがってごねることさえ恥ずかしいほど、現役部員の名を知らない。
自分の現役時代を思い出しても、年長のOBが見に来たとして、どう接していいかわからなかった。
彼らも当然そうだろう。
『暮れなずめ街』を見に来てくれた畠山君と浅井さん、少し話す。

8時過ぎ帰宅。
着替えて走りに行く。
公演が終わって一週間なので、節目としては丁度いい。
日大通りから早稲田通りに抜け、環七の大和陸橋まで往復。
10キロ弱。
途中、事故現場の交差点にさしかかったので、自分がどういう状態ではねられたのかを検証する。
車道の信号と停止線があり、理屈としては自転車はそこで止まらねばならない。
だが、曲がり角は先の方にあり、歩行者用信号もそこにある。
自転車をこぐ人間は、感覚的に曲がり角の手前まで進むだろう。
とにかく弁護士さんに状況を相談してみるしかない。