田園に死す、再演観て、再感動

PC組み立てとWindowsインストールで明け方まで作業していた。
昼近くに起きる。

午後を使って少し台本書きをしようと思ったが、テキストエディタやプリンタの設定が済んでいなかった。
Windows8.1の操作に慣れるのにも少し時間がかかりそうだ。

夕方、スズナリへ。
流山児事務所公演『田園に死す』観劇。
一昨年の2月に見た時、自分の観劇体験のベスト3に入ると思った。

演出は今回も天野天街。
チケットは後藤さんから買った。

内容は、書くことがない。
前回と同じく映像の使い方が圧巻で、どうすればこんなことが出来るんだろうと思った。
カラスの羽ばたきや活字の羅列、もちろん本物の映像もある。
それらが簡素な舞台装置に映し出されることで、全体が舞台美術になる。
場面転換も、魔法を見ているかのよう。
役者のキレがいいとかいうレベルではなく、演出脳の構造が我々と違っているとしか思えない。
ボクサーが一斉に舞台になだれ込み空間を満たし、シャドーボクシングをする場面は最高だった。
どやどや、ドタドタしないやり方で、それが出来ているのがすごい。

全員による「終幕」の声と共に、ラストの場面となる。
スズナリ入り口を模した舞台の階段を、寺山らしき人がゆっくり上がっていき、上がりきったところで唐突に暗闇。
客電がつく。
カーテンコールはなかった。いらないと思った。

心と感性をおおいに揺さぶられ、心臓をドキドキさせたまま帰路についた。

沢山の人に観てもらいたいが、今回がラストなのだという。
毎年やってくれないものだろうかと思う。
小劇場とはどういうものなのか、今の20代、30代、40代の役者達は、それぞれ考え方が大きく異なってきていると思う。

「アングラ苦手なんですよねー」
と若い役者が言っているのを聞いたことがあるが、たぶん彼はアングラをまったく知らない。
彼らがそれまで持っていた
「芝居とは、演劇とは、こういうものなのだ」
という考え方で観ても、なんだかわからない作品と思うだろう。

それは作品の責任ではない。
厳選された材料を用いて、シェフが腕によりを込めて作り上げた料理を、生まれてから今までハンバーグとカレーとスパゲティ以外食べたことのない大人が食べたら、どう思うだろう?

まずい、とは思わないだろう。

「なんだこれは?」
と思うのが普通じゃなかろうか。

でも、その「なんだこれは?」の疑問を抱き続けて生きるのが面倒くさい人間は、
「僕には合わないんだ」
と結論してしまう。
そして面白くないぱっとしない、自分のわかる範囲の演劇に戻っていく。

「なんだこれは?」
と思ったのだとしたら、その疑問に答えを出す必要はないと思う。
観た場面を記憶し続けていればいい。

そして時々、
「あの時に見たあれは、一体何だったんだろう?」
と思い返しながら演劇を続ればいい。

それができる若い役者さんは、きっとこれからも沢山の「なんだこれは?」と出会い続けるはずだ。
そしてライバルよりも、すごい役者になっていくのだろう。