おのれに潜む中二と対決する年齢

仕事後、甲州街道を新宿御苑前方面まで歩き、サンモールスタジオへ。
新宿南口を通って行くと案外近い。

ロ字ック『荒川、神キラーチューン』観劇。
去年の暮れ、平熱でダブルキャスト別チームだった明日香ちゃんが客演。

物語は、主人公の中学時代と現在と、二つの時間軸に分かれている。
中学時代マンガを描いていた彼女は、現在教師になっている。
教え子だった自分が教師になって教え子を教えている構造。
過去と現在は不規則に入れ替わり、場面がめまぐるしく展開する。
ぶつかる対象は友達としての中学生になったり「先生」としての教師になったり「生徒」としての中学生になったりする。

場面転換が発電コイルのようにエネルギーを生み、よくわからない何かへの怒りや情念へと変化していった。
まるで、現在の自分が過去の自分と対決し、落とし前をつけようとしているかのように見えた。
おのれに潜む中二との対決。

ふと、古谷実のことを思った。
デビュー作『稲中卓球部』の登場人物達は中ニだ。
連載中、進級することなく終わった。

その後ふたつの作品を経て、救いのない物語『ヒミズ』に至る。
『ヒミズ』連載時、古谷さんはたしか、29か30歳だったはずだ。
そしてこの作品で、中二(稲中のイメージ)を殺した。

今日の作品でも、教師は三十歳前後だったような気がするし、パンフレットにある作者の言葉にも「29歳になった」と書いてあった。
三十歳というのは、自分の中にある中二と対決する年齢なのだろうか。

自分にも思い当たるフシはある。
確かにその頃、それまでの自分を捨てて、生まれ変わろうとしていた。
それまでの自分の中に、中二の自分が含まれていたかもしれない。
いや、中二の自分が、三十までの自分の基本ラインを作るのかもしれない。

ストーリーや演出、役者の力が、一点に向かって盛り上がるような作品だった。
団体が、活動の初めから終わりまでのうちに迎える、ひとつのピークで、今このタイミングでしか作れないものが持つ力に、目が釘付けになった。

終演後、新宿南口まで歩きながら、色々なことを考えた。
中二と対決できた者もいれば、そこから逃げる者もいる。
共に歩もうと思う者はいるのか。
いるとしたらどういう風になるのだろう。
どういう40歳、どういう50歳になるのだろう。

家に帰る。
雨。
眠れなかった。

眠れなくても3時を過ぎれば寝てしまうのだが、今日は4時を過ぎても眠れなかった。
眠れない頭で考えたのは、ギャグ漫画家の宿命について。

倒した敵が、実はより巨大な組織の下っ端だったというのが、ジャンプの法則の基本パターンだと思う。
ギャグ漫画家においての敵は、自分自身が作ったギャグだと思う。

常に一番面白いギャグを、と、真面目に取り組む漫画家はどうなってしまうのだろう。
鴨川つばめは、70年代に『マカロニほうれん荘』を大ヒットさせた漫画家だ。
ギャグ漫画なのに絵がポップで、ロックカルチャーのテイストを加えたギャグはスピード感があり、当時は革命的だった。
ところが鴨川つばめはこの漫画をアシスタントなしで一人で描いていたという。
眠気覚ましのアンプルを買い込み、徹夜を重ね、妥協を許さず、ギャグを超えるギャグを考え続ける二年間あまりの連載の末、鴨川つばめは壊れてしまった。
あんなに面白かった作品が、最終刊で急激に絵のクオリティが落ち、展開も不気味なものになり、刀は折れ矢も尽きた状態で終わってしまった。

ギャグを考える作業は、自分の心を海にたとえると、潜水して色々な妙な生き物を捕まえることだと思う。
そして、深くなればなるほど、生き物の形は不気味になっていく。
深海魚のように。

人の心は海に似ている。
深く潜るほど、不気味なものが潜んでいる。