ふるさとはあるのか?

仕事へ。そしてすぐ朝の会議へ。
色々なツール改修仕事があり、それらをやった。
9月末になると、新しいツールを作るだけの余裕がなくなるだろうから、今のうちにできることはやっておき、思いついたアイディアはメモしておく。
台本を書く時と同じだ。

昼、「西湖春」で麻婆豆腐。
去年は少しでも辛いものを食べると汗がダラダラ流れて困ったが、今年はそうでもない。
それほど暑くなかったから、体が水分をそれほど貯めていないのかも。

仕事後、実家に帰る。
夕飯は秋刀魚だった。
他に、きんぴらゴボウ、キュウリの酢の物、おひたしなど、好物ばかり。

仮眠をとり風呂に入り、台本書きをする。
40ページに到達する。
一度去ったかりんと潮干狩が戻ってくる。
全体の3分の2あたり。
ここから先は大人数がひしめくことになる。

台本を書いていると、父が起きてきた。
Googleマップの話になったので、秋田県能代市のストリートビューを見せる。
父は驚き、おれも驚いた。
子供の頃に2回、成人してから1回訪れた、ガラス屋を営んでいるおじさんの家。
確か、住宅地のはずだったのに、空き地だらけになっていた。
「塚本ガラス」と、隣の医院は、まだあった。

父が言うには、ガラス屋はもうやっておらず、おじさんは別のところに住んでいるらしい。
ストリートビューに写っているのは空き物件というわけだ。

母方のおばあちゃんの家は新宿の柏木にあり、今の仕事場から歩いて15分ほどだ。
そのあたりも90年代から2000年代にかけて再開発され、残っているのは花屋さんだけだ。
この花屋さんはおれが物心ついた2歳の頃からあり、おばあちゃんがそこへ花を買いに行くのについて行った記憶がある。
花屋さんの右斜め向かいがおばあちゃんの家だったのだが、ストリートビューで見てみると、そのあたり一体すべて、でかいビルだかマンションだかの建築中になっていた。

おれにふるさとはあるんだろうか?

生まれた時に住んでいたのは江戸川区の松島。これは記憶がまったくない。
つぎに江戸川区の松江7丁目に引っ越した。このあたりから記憶がある。
つぎに当時は小島町といっていた現在の西葛西に引っ越した。
西葛西駅ができるまではそこら中空き地だらけで、腐った木材の匂いが漂う荒んだ町だった。
町から空き地がほとんどなくなった頃、小金井にある大学に通うようになり、実家には寄りつかなくなった。

ふるさとに近い匂いを感じる町は、たぶん大学時代から長く住んだ小金井だ。
駅前は大きく変わったけれど、離れれば昔とおなじ匂いがする。

かといって、小金井に戻りたいと思っているわけじゃない。
かつて住んだ町として、これからも懐かしむことがある町として、つかず離れずの距離に住めれば、今のところどこに住んだっていい。

引っ越しのことを考える。
来年、もしかしたら、別の町に引っ越すかもしれない。
それとももう少し住んで、ふるさとに近い町を、増やした方がいいのか。
わからない。
ふるさとは、人ありきとも思うし。
懐かしい人がそこにいるから、ふるさとなんだろう。
懐かしい人は、色々なところに散っている。

父と話し終わり、時計を見ると4時だった。
台本の続きを書くには、夜更かししすぎた。
部屋に戻って眠る。