夢の木坂分岐点のような人生

8時起き。
アップ代わりに半身浴をする。

11時に劇場入り。
舞台をうろうろ歩いて台詞の確認をする。

1時開演。

前半、台詞と気持ちが一致せず。
ミスをするから一致しないというより、一致しないからミスをするという状況。
裏に待機している時に深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

後半は集団の中にいる場面が多かったので、共演者の熱に寄り添うようにして自分も上げていった。
照明関係のトラブルあり。

ミスをしないことが重要ではなく、ミスをしないようにし続けることの方が重要だと思うので、してしまったミスに対しては感情的に対処しないでおく。

夜の回までの待ち時間は1時間ほどしかなかった。
台本を読み返さず、台詞の確認もせず、ただ、次は絶対に失敗することはないなあという確信を持って夜の回を待った。
なぜそんな風に確信出来るのか理由はないのだが、確信出来なかったから昼は細かいミスがあったのであり、確信出来るなら絶対にミスはないのだ。

そして、確信をつかさどる心の動きは、コントロール出来ない。
実は、心の動きにコントロールされているのはオレの方なのだ。
オレの方がしもべなのだ。
主人である心の動きを、しもべのオレがコントロールしようとすると、跳ね返されて失敗する。
その結果、出とちり台詞を噛み間伸びさせ、舞台装置にぶつかり小道具を忘れ衣装を破き、暗闇の中階段から転がり落ちる。
まるで何かの復讐であるかのように、舞台上のトラブルはやってくる。

トラブルはやってくるのだけど、それへの対処を「芸」にできれば、主人である心の動きと寄り添えるんだろうなあと思う。
夢の遊眠社の「小指の想い出」のビデオで、台詞を派手に間違えた役者を野田さんは舞台上で指摘し、その後ぴょんぴょん跳ねていた。
あれは面白かった。

5時開演。
出番の直前まで、台詞が頭に浮かんでこなかったのに、落ち着いていられた。
こういう時は、失敗があってもなんとかなるだろうと、のんきに考えて舞台に立っていられる。

7時前に終演。
外はまだ明るかった。

筒井康隆『世界はゴ冗談』読了。
永野さんから借りていたもの。
短編集。
「メタパラの7.5人」がすこぶる面白かった。
作品中もっとも新しいのがそれだった。
カート・ヴォネガットが最後の長編『タイムクエイク』は、ヴォネガットが75歳の時に出版された。
筒井先生はもう80歳を越えている。
ツツイストは、大先生の作品を楽しむ幸福を、あとどのくらい享受できるのだろうか。
5年? 10年?

8時過ぎ帰宅。
ツナサラダ食べる。

雨が降っていなかったので洗濯をした。
ベランダに干す。
明日は雨らしいが、夜の家にある程度乾かして、明日部屋干しすればいい

仕事に行き、舞台に出て、という生活を今週はしていたので、現実感覚が混乱している。
どの自分が本当なのかわからなくなっているように。

そういう、夢と現実の狭間を漂うような人生を、かつて憧れていたこともあった。
実際にその狭間を漂ってみると、ふわふわしていて心許ない。
良くもなければ悪くもない。
それはまさに、筒井康隆『夢の木坂分岐点』の人生じゃないか。