プリンスの死

朝、お粥と納豆と味噌汁。

自転車走行の調子が元に戻ってきた。

昼、ワカメサラダとお粥。

定時にあがる。
マルエツプチで買い物をして帰宅。
お粥、納豆、味噌汁を食べる。

プリンスが死んだ。
57才だった。

「パープル・レイン」の大ヒットで、日本でも有名になった。
リリース直後の1984年夏に、マイケル・ジャクソンのライバルとしてプリンスを思い浮かべるのは、とても自然なことだった。
もちろん、それ以前から売れていたし、スタイルもまったく違うのだが。
当時オレは洋楽を聴き始めたばかりだった。
シングルカットされた”When Doves Cry” のPVを見た時、まだ小僧だったので、不気味だと思ってしまった。
良さがわかるようになったのは、耳が肥えてきてからだ。

「パープル・レイン」のヒットでプリンスの名前を知った時、同時にプリンスは天才だということも知識としてすり込まれた。
新曲が出るとラジオなどで聴く機会が多かったので、”Sign O the Times” あたりまではシングル曲を追いかけることができ、音楽の多様性とクリエイティビティもそれらによって感じ取ることができた。
ただ、そこで突っ込んでアルバムを買い、ファンになるということをしなかった。

好きな曲は “I wanna be your lover”

http://www.dailymotion.com/video/x15zj5c_prince-i-wanna-be-your-lover-official-video_music

“Kiss”も好き。

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あと “Musicology” とか。

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削ぎ取られ、研きぬかれ、音楽の芯のみがあるという状態が、プリンスの「普通のこと」なのだから、そりゃ天才でしょうと思う。
でも、ハマると、臣下もしくは奴隷になるしかないので、怖くてアルバムを集められない。
だからその死に対して、思い入れを語ることはできないし、資格もない。
世界から天才が一人減ったことを、ただ惜しむ。それだけだ。