オバマ氏演説と、理想を持つこと

朝、雨のため走らず。
地下鉄で仕事へ。
乗る電車を一本早くしたら、混雑具合がいつもよりましだった。

本番が近くなると、食事時間が大切な息抜きになる。
本番になると、食事を忘れがちになる。
今日は本番前。
息抜きとして「陳家私菜」でよだれ鶏食べる。
かなり美味しかった。

一人芝居ネタ二つ目は、「粗忽重ね」を書く前のエピソードにした。
あまり覚えてないので、フィクション部分が増えそう。

夕方、西荻北で稽古。
粗忽重ね、やり取りができてきた。
不条理劇の体裁で、言葉遊びの多い芝居なので、あるテンポを維持すると、きこえがいい。
通してみると29分だった。

10時過ぎ帰宅。

土曜日に書き忘れたこと。
広島を訪れたオバマ氏の演説を読んだ。

政治家は、行動するときは現実主義的であり、語るときは理想主義的であって欲しい。
オバマ氏の演説は、語るべき理想を持っている人のものだと思ったし、そこに感銘を受けた。

理想に対して現実的な批判をすると、どこかでかみ合わなくなる。
あのタイミングでオバマ氏が演説することは、理想主義者的な行動だった。

演説を読み、日本人なとしてではなく、人間として、人間の起こしうる恐るべき罪について考えた。
だからオレの反応も、理想主義者的だったはずだ。

戦後の大統領で初めて広島を訪問し、過去の戦争や人間の罪という普遍的なテーマで語ったことは、
(日本人は、平和についてどのような理想を語るのか?)
という問いかけにもなりえる。
安倍さんは何を語れるだろう?

でも、理想を語れない政治家を批判する資格を持つ日本人は、少ないのではないか。
批判ではなく、消費者クレームのようになるだろう。

一億総消費者化。
日本の病はそれだ。

日本人一人一人が、平和についてコピペなしの、自分の頭で考えた理想を、大人になるに従って持てるようにする教育システムを作るべき。
平和に限らず、だが。