作家はどう変わるのか

朝7時起き。
コンビニに行き、レトルトのカレーとハヤシ買う。
カレーは大辛。
二つを混ぜ、カレーライス食べる。

外は曇り。
右足ふくらはぎにはまだ違和感が残っている。

昼、「あいはらや」でまぜそば食べる。

午後、ゲッツ板谷の本をパラパラめくる。
12年前、初めて読んだ作品が『バカの瞬発力』だった。
対話形式で語られる板谷家エピソードがあまりにも面白く、たちまち虜になり、他の作品も買い揃えた。
どの本も言葉の選び方と比喩が独特で、ギャグにキレがあり、読むと気分がスカッとした。

当時、ゲッツ板谷のサイトは、何人かの仲間がコーナーを持っていて、全体がひとつの雑誌のようになっていた。
みんなで集まって、バカなことをワイワイガヤガヤやっているように見えた。

2006年に脳出血で倒れたことは、後から知った。
復帰後のエッセイからは、かつての面白さは失われていた。
後遺症のせいだった。
書いていて、ちょっとしたことを思い出せず、リズムに乗れなくなってしまったらしい。

小説『ワルボロ』は、倒れる前の年に刊行された。
続編『メタボロ』出たのは、それから五年後だった。

その二年後、『ズタボロ』が刊行された。
ペースが上がってきている。

『ワルボロ』は発売されてすぐに買った。
文体はそれまで出ていたエッセイと変わらなかったが、登場人物が実在の人々で、椎名誠の『哀愁の街に霧が降るのだ』を連想させた。
あのまま、続編が書かれていたら、どうなっていただろう。

『メタボロ』の頃は、ゲッツ板谷の本を読まなくなっていた。
角川文庫の新刊エッセイが、まったく出なくなっていたし、サイトも閉鎖されていた。
『ズタボロ』は、出たことも知らなかった。

なぜか知らないが、脳出血後のこれらの作品が、急に読みたくなった。
かつてゲッツ板谷に熱中したのは、文句なしに笑えたからだ。
でも、倒れた後、そういうものは書いていない。
書けなくなったのかもしれない。
その代わり、小説を書いている。
5年かかって『メタボロ』
次に2年かかって『ズタボロ』

生死の境を彷徨ったことで、どう変わったのだろう。
それを確かめたくなった。