終わり

朝、小雨だったので地下鉄で仕事。寒い。

荻野くんの仕事、クライアントからオーケーが出たと連絡もらう。
オレがやる仕事ではないのだがほっとした。

唐揚げと照り焼きチキンの弁当食べる。
肉だけとか、海老だけとか、鶏だけとか、ワガママ系のおかずになってきたのは弁当生活が続いているせいか。
退廃の一つかもしれない。

午後、仕事の担当さんと面談。
昨日、6月までやる気はあると伝えたが、契約上それは無理とのことだった。
とはいえ、3月3日に終わるスケジュールでは引き継ぎは不可能。
「3月末までお願いできますか?」
と頼まれる。
有給分は4月に合算してくれるとのことだったので、それならば大丈夫と答えた。

3月で終わりが確定したことを、隣席のタナカくんに伝える。
驚いていた。

去年、長くやっていたTさんが辞めた時から、去就は考えていた。
年末までやって、あとはどうしようか、と考えていた。
ところが10月にチームを移ることになったのは予想外だった。
様子を見ないといけない。

その後の展開も予想外だった。
チームを移ったことで、使っている人を間近に感じられるようになったのは良かったが、Kさんの便利屋みたいなポジションに立たされていた。

Kさん、悪い人じゃないんだが、
「それ、あっちにやらせちゃいましょう」
とか、
「うちでやるこたあない」
など、こちらがやるべき仕事であっても、やらないための知恵ばかり働かせるのには参った。
やることになったらなったで、
「こういうの頼まれてるんだけど」
と、オレにその仕事を振ってくる。

結局、10月2ら12月まで、毎月ひとつずつKさんの仕事を楽にするツール作りをしていた。

前はOさんという人がオレの上司で、この人はKさんとは真逆で几帳面な人だったが、技術関係に弱いのは二人とも同じだった。
そもそもなんで、この四年間、技術に縁遠い人の下にオレはいたんだろう。

長くやっているし、信頼を得ていると感じることもあった。
同じフロアで働く人々に対して、今さらどうこう思うことはない。
むしろ、もっと奥底の、あるいはもっと上のところで展開されている侃々諤々が、我々末端に派生して、様々な不条理を生んでいるんじゃないか?
それについて、ここ二年くらい思い悩んできた。
いやいや、別に悩んではいなかった。悩んでいたらきっと病んでた。

2011年くらいで、プロジェクトは終わるのかと思っていた。
実際その頃、人も減った。
ところが、別のシステムを作ってくれといわれた。
今までイチゴだけ扱っていたのだが、バナナも売るためだという。

バナナのために、2013年の前半までかかり切りになった。
ようやく落ち着いたと思ったころ、新種のイチゴを扱うことになった。
古いイチゴシステムを改修しなければならなかった。
で、2014年の初頭に改修した。

今回の改修はそれ以来だ。

引き継ぎのためにUさんが来たのも、今思えばこのことをあらかじめ想定してのことではないかと思うし、実際オレは長くいすぎた。
データベースと同化して心中するわけにもいかない。
色々なタイミングが重なっていたんだ。
去年のマグネシウムリボン公演も理由のひとつだ。

公演が終わってそろそろふた月が経とうとしている。
(もうふた月?)
ではなく、今は、
(まだふた月?)
の心境だ。
半年くらい昔のことみたいに感じている。

前回公演は、マグの最終公演になるかもしれないと思っていた。
さまざまな理由がある。
言ったり書いたりすると愚痴になるのがイヤさに、腹の奥にしまっているが、これは今の仕事でも同じだなあと思う。
言わずにおいて、独力で何とかする経験を積む。
それを「場数」としてカウントし、来たるべき時のエネルギーにする。

芝居のために仕事をしているのか、と聞かれたら、違うと答える。
仕事は仕事だと思うし、そう思える「今」が続いてきたことが、財産だろう。
昔は思えなかったし、思えなかったゆえに何度も挫折があった。

3月末ならまだ引き継ぎにも余裕がある。
昨年10月からの「慣れ」もある。
いきなり引き継ぐより、効率的なはずだ。

6時半帰宅。