一種のスーサイド

6時40分起き。朝食にサッポロ一番の塩ラーメンを食べ、洗濯物を干し、洗い物をし、ブログを更新した。
伊集院静『いねむり先生』を少し読んだ。
8時半に家を出ようとした時に、靴の修繕をボンドでしたが、うまくいかず、時間を10分無駄にした。壊れる前に補強しておくべきなのだ。特にかかとは。

クロスバイクやロードバイクで通勤している人がいたら、注意して見るようにした。のんびり漕いでいるように見えたが、ギアつきのママチャリで急ぐよりもずっと速かった。

自転車に、軽さや速さを求める志向が、これまでまったくなかった。自転車通学をしていた高校生の時も、向かい風が厳しい通学路だったのに、そうしたことは求めなかった。重くてきつくて疲れるものだとずっと思っていた。
最近友人の清水くんが、自転車で行ったところの写真をInstagramでアップしている。多摩川の上流から最下流まで走破しているようだ。
以前、マグに出た岳志も、普段の交通手段にロードバイクを使っていた。彼は一昨年、自転車で日本一周していた。
細田くんに至っては別格だ。何十年ものキャリアをもっている。
知人に、いい自転車に乗っている人がそれだけいるのに、へーとか、ふーむとか思っているだけだった。そして、重いママチャリを何十年も漕いでいる。

午前中、先週作業したチャートの印刷をする。テキストが思い通りに印刷されなかった。Excelだからだ。パワーポイントに切り替えようか。

昼、コンビニ食食べる。『いねむり先生』読み進める。

午後、チームの打ち合わせの後、ツール会議に参加する。ツールは、今まで二つあると思っていたものが三つあると判明した。チャートももう一つ書かねばならない。先週調べていて存在は知っていたが、今回の対象とはまるで外れる案件だと思った。

午後、ツールの改修を進める。理解を深めるための改修だ。このままドキュメント作りとオペレーションばかりの仕事が続くのかなあと考えるが、それほど焦りはなかった。最近、ものを考える時の思考パターンが変わってきた。あることを考えていて、自分の思考パターンではないと気づき、ぎょっとすることがある。他人になってしまったような感覚だ。
日記を燃やしたことが影響しているのかもしれない。
子供の頃から何十年も日記をつけている人は、燃やそうなんて考えたりしないだろう。日記は自分の一部になっているはずだ。

日記を燃やしたことは、衝動的な自殺だったのだと思う。
またぎょっとした。そうか、あれは自殺だったのか。

もし日記を書いていなかったら、自殺していたのかというと、それはわからない。昔からなぜか、そっちを考えることはなかった。だが、燃やそうと思った時の心の動き方は、自殺と同じだったのかもしれない。

6時半帰宅。塩ラーメンにミックスベジタブルを沢山入れて食べる。
ファイル整理の続きをする。映画、テレビ、音楽などの動画中心。ファイル名がバラバラのものをまとめ、フォルダ整理をする。映画は思っていたよりも少なかった。DVDに焼いてあるものが多いからだ。それらをPCに移すかどうか考える。音楽ファイルよりもサイズが大きいので、さすがにハードディスクの容量が気になる。それに、ドライブのパックアップをちゃんとしないと、壊れたらすべてが終わりだ。
クラウドサービスの容量が、そうした動画ファイルサイズの保存にも耐えうるほど大きくなるのはいつになるだろう。

片付ける予定の書類がまだ沢山あるので、忘れないようにこたつの上に並べた。種類がまちまちなので、分類しないといけない。

1時半就寝。