コツ2からダラ2へ

6時にいったん起き、7時までうとうとした。7時に起きると、6時に起きた時より眠かった。

朝飯に卯の花、鮭食べる。

母に、新聞広告に載っている梅干しをネットで買いたいといわれ、父のiPhoneでQRコードを読み込もうとした。アプリがなかったのでAppleストアでインストールを試みたところ、iCloudのパスワードを聞かれた。父に聞くと、わからないという。結局、いったんパスワードをリセットした。
パスワードは、スマホを使おうか迷っている人にとって、大きな障壁になっていると思う。

QRコードの操作をしていると、父のスマホに母のラインが届いた。妹と両親のグループLINEに投稿したのだった。妹が母に、北海道旅行をしないかとメッセージを送り、その辺事を母は、グループLINEに送ったのだ。
「あんた、行かない?」母は父に聞いた。「行かない」父は即答した。

午前中、仕事をしながらそのことをぼんやり考えた。
父は、みんなで行く旅行より、一人旅の方が性に合っているのではないかと思う。その点では母と真逆だ。散歩をする時、母は目的地を決めると、最短コースを脇目もふらずに進むことを欲するが、父は途中で気になった脇道があるとふらっと入り込み、方向音痴のためにそのまま道に迷ってしまう。
旅行に「行かない」と答えた父が、どのくらい本気で「行きたくない」と思っているか、母には理解できない。理解できないゆえに「変人」と断じることで結論づけてきた。
その断絶は過去半世紀ずっとあった。子供の頃は、父より母と接する時間の方が長かったので、母がそのように言うために(そうか、父は変人なのだな)と思ってきた。また、変人呼ばわりは息子のオレにも向けられることがあったから、そういう時は(変人だっていいじゃないか)と、まず自分が変人であることを認めた上での反論を試みていた。
だが、母も変人だったのだ。そのことに気づいたのは大人になってからだった。

ここ数年は、実家に帰ることが老いの経過観察になっている。しかし、外から見ただけでは、感じ方の老いはわからない。美味しいと感じる気持ちが老いると、美味しいと思えないことに戸惑いながら、次から次へと食べてしまう。あるいは、食べても味なんかわからんといって食べなくなる。外から見ると、食べている方が健康的のようだが、どちらも老いには違いない。

夕方、図書館へ。橋本治『双調平家物語』12巻と13巻を借りる。

最近、コツコツが途切れ、ダラダラ生活になっている。いつからか。マラソンが終わり、4月に入った辺りからだ。いつものエイブリル不調かと思っていたが、5月になってからもパッとしない。
4月中は一日も走らなかった。2017年1月から、毎月必ず一回以上は走っていたが、その記録が途切れた。
連休中、走ろうと思わないでもなかったが、めんどくさかった。めんどくさいという気持ちが、ダラダラ生活を作り出している。
この腑抜けた感じは今に始まったことではなく、十代の頃から時々見舞われた。誰にでもあることだと思いたいが、SNS的に可視化可読化するのが難しいので、他人はそういうときどうしているのかがわからない。だからそういう時の自分が他人と比べてどうなのかもわからない。

家で飲まなくなったので、甘いものをよく食べるようになった。ほとんど和菓子だ。主にあんこもの。太るんじゃないかと思うが、ビールの「もう一杯」と違って「もう一個」はないので、相殺されているようだ。

トマトが枯れてきた。養液に浸っている茎の下の方が腐敗してきたせいだと思う。
容器を洗い、水を入れ替えた。
トマトは、根のすぐ上からV字型に茎が分かれていた。分かれた部分より10センチ上辺りまでが壊死しているように見えた。
そこから下を切断し、ペットボトルに移して真水につけた。
大きく育った脇芽もカットして、別のペットボトルにつけた。
トマトは5株に分かれた。どれかは生き残って欲しい。