七十年代的な人

「アレクサ、今何時?」
「7時50分です」
起きてご飯を炊き、味噌汁を作り、ぬか漬けと一緒に食べた。きゅうりは丸一日、なすは一日半漬けた。好みの漬かり加減になっていた。

午前中、OS変更に伴うツールの動作確認をした。

昼、「山田屋」でタンメン食べる。

「青春の殺人者」が見たい。前に見たのは2003年で、日本映画を見まくっている頃だった。市原悦子と水谷豊の格闘シーンの壮絶さと、「馬鹿だよなあ」と言って豊さんが泣く場面と、原田美枝子の魔乳が強く印象に残ったが、その頃と今とでは映画の見方がずいぶん変わったので、今見たらどう感じるのかが知りたい。

長谷川和彦は英字スーパーつけたフィルムを持って1977年にアメリカへ行き、NYとLAで試写をし、向こうの映画人や観客に意見や感想を聞いた。その顛末を自ら書いたルポが「長谷川和彦全発言」というサイトで引用されている。これが大変面白い。そこにいる「ゴジ」さんは、吹いてばかりの人間ではない。周りを冷静に観察し、人の作った映画を見て素直に感動し、自分の映画を批判する意見もちゃんと聞いている。こんな感じで、映画共和国の仲間をどんどん増やしていたら、この人は向こうで映画を撮れたのではないかと思う。ルポの終わりで、映画館を作ってそこで色々な映画を上映したいという夢を語るゴジさんは、純粋で、青春という言葉が似合う人だった。

70年代と80年代は、それぞれの時代に属する文化が敵対し合っている。80年代は70年代的な文化を否定することで作られていった。
1981年に公開された蜷川有紀主演映画「狂った果実」は、80年代的な人々に虐げられた70年代的な男が、復讐をして滅んでいく話だと解釈できる。そんなふうに解釈して見た人はほとんどいないだろうが。

長谷川和彦は間違いなく70年代的な人だと思う。最後に撮った「太陽を盗んだ男」の公開は1979年。70年代最後の年だ。80年代は設立したディレクターズカンパニーの運営に追われた。この期間に一本でも撮れていたら、オファーの取っかかりになっていたのではないか。

1977年に書かれたルポの「ゴジ」さんには、好感しか持てなかった。頭が良く、説明が上手く、話が面白い。酒さえ入らなければ、高潔な人物じゃないか。ああ、また酒か。

昼すぎ、ぴあからメール。年末のU2ライブのチケットに当選した。席はグッズつきのSS席。4万弱だから安くはないが、U2クラスのアーチストの来日コンサートは、単なるライブではなく冠婚葬祭である。ご祝儀と思えばなんてことはない。ボノも来年60歳だ。声もそろそろ衰えてくるだろう。その前にU2が見られるなんて。
嬉しさのあまり、PCの前でニヤつき、ランバ・ラルが乗っていた青いモビルスーツの名前を連呼した。

四谷三丁目に自転車を止め、7時過ぎに実家へ。

実家PCがまた動かなくなった。マザーボードの起動画面から先に進まない。夏になると調子が悪くなる。寿命だろうか。