『聖耳』読了

夢を見た。旧知のなべさんが出てきて、たぶん何かの芝居を見終わった後で飲もうということになったのだが、店に行くのではなくビールを買って来てくれたら飲むみたいなことを言い出した。で、どこかで缶ビールを買って来て戻ってくると、やっぱり帰ると彼は言い出し、それはねえよと思う、という夢だった。

6時50分起き。朝飯に目玉焼き食べる。

昨日、時代劇チャンネルの視聴方法を教えたというのに、同じことを母がまた質問してきた。録画予約ではなく、見るというボタンを押せばいいと説明すると納得したが、すぐに父に向かってそのことを教えようとしはじめた。あまりにもしつこかったので「ほっときなさいよ」と取りなした。
父いわく、たくさんの映画やドラマを録画するのだが、時代劇を優先して見ているのだという。見てはデータを消すということを繰り返すと、録画リストの上の方から時代劇以外の映画が下りてくるらしい。

7時半に実家を出る。

『たまむすび』火曜分を聞く。ゲストが古舘伊知郎だった。ラジオで聞くとトーク力のすさまじさが改めてわかった。

午前中、データクレンジングのための資料作りをする。面倒な作業ゆえに、朝っぱらの元気なうちに進めた方がいい。

昼、ひじきサラダとメンチカツ。

午後、会議に参加。説明会に等しかったが、知識の埋め合わせをするとともに、現在作っているツールの疑問点も解消できた。
しかし、聞けば聞くほど、そんなに大げさなツールが必要か? という気になってきた。

夕方、案の定、面倒な作業をやる気力がなくなっていたので、会議資料を読んで復習した。

自転車で帰宅。やはり45分以上かかる。なぜだろう。

夕食に、シャウエッセン、ザワークラウト、厚揚げ、納豆キムチ食べる。

『聖耳』読了。
難解、といえば難解だったかもしれない。主人公は、目の手術を何度かしている。感覚の相違を認識し、それが過去の記憶の連想を生み、感じている感覚が現在のことなのか過去のことなのか曖昧になる。そのうち、曖昧さに空想が入り込み、実際になかったことも同時に感じ、それに応じて情緒も動く。
ただ、感じている本人の時間の流れ方は一定なので、そこに捕まって振り落とされないようにすれば、豊饒なイメージの連鎖をうっとりと楽しむことができる。小説ってすごいんだなと思うことができる。

11時就寝。