「たまむすび」木曜放送

6時過ぎ起き。スタディサプリをやり飯を炊き、水耕栽培の水やりをする。

トマトは枯れが進行してきて、いよいよ先端に追いつきそうになっている。咲いた花は予想通り実をつけずぽろりと落ち、落城寸前といった様相を呈している。
一方、6月か7月頃にペットボトルにつけて根を出した脇芽も、水耕容器に生けている。こいつが、梅雨明けしてからだんだん育ってきている。そして、枯れが進行している「先輩」の根本に新しい葉が生え始めており、こちらも育ってきている。
収穫したトマトは冷凍している。何だかんだいって小さいサイズが10個以上は採れた。今年は天候に恵まれなかった。来年は(やるのか?)春分の日をスタートに定めようと思う。

午前中、月一ルーティンワーク用のツールを、頼まれていないのに作成した。テキストファイル化した何十ものSQLをコピペして実行する運用になっているので、それを自動化した。

昼、コンビニでおにぎり2個、スパイシーチキン、コロッケ食べる。

夕方、走る。初台まで往復。へたりそうでへたらなかったが、汗はそれほど出なかった。

「たまむすび」木曜放送分をラジコで聴いた。
ピエール瀧が逮捕されて以来、「たまむすび」を聞く習慣がなくなってしまった。赤江さんの声を聞くのが辛かった。
昨日の放送は、木曜の新MCが決まったことを報告するものだった。これまで木曜は週替わりのMCでやってきたのだったが、いつか瀧さんが戻ってくる時のために席を空けているように思われた。それがまた切なく、聞けない理由にもなっていた。
新MCは土屋礼央に決まった。冒頭、赤江さんは、新MC決定にあたって、瀧さんと焼肉を食べた話をして、リスナーへのメッセージを代読した。瀧さんが、昼のラジオをどう定義してきたかということと、今回の事件で自分はMCをやる資格がなくなったと思っているという内容だった。
悲壮感や懺悔のムードはなく、どこか恬淡としていた。それは、別れはいつか来るのだから、いつまでも未練を残してはいけないということを、瀧さん流にリスナーへ伝えてくれているように感じた。そんな内容を赤江さんへ、猪木風に言ってと、瀧さんは伝えたらしい。
赤江さん、声を詰まらせながらそのことを話し、最後に猪木ふうにちゃんとしめた。聞いていて涙が出てきた。
「たまむすび」は木曜しか聞いていなかったのだが、それは、瀧さんとからむ時の赤江さんが好きだったからだ。月曜は妹っぽく、火曜はお姉さんふう、水曜は異性の友人ふう。それぞれ、微妙に違う貌を見せてくれるところが、たまむすびの赤江さんの魅力だが、一番好きだったのは、木曜の、瀧おじさんにしごかれる男子中学生ふうの、呼び捨てられる「赤江」だった。
木曜の放送で、今の愛すべき赤江さんは作られたんじゃないかと思う。天真爛漫で、繊細なのに隙だらけ。その正直さに、毎週恋をしていた。うげっ、気色悪い。
赤江さんが新しい一歩を踏み出す放送をした同じ日、インスタで卓球さんが、瀧さんと二人の写真をアップした。アーティスティックな変顔で一つのTシャツを二人で着ていた。瀧さんも新しい一歩を踏み出したのだな。変顔で。その写真を早速スマホの壁紙にした。
なんだか、3月からのモヤモヤが吹っ切れた気がする。しなくてはならない別れは、やはり、しなくてはならない。それが、できたような気がする。といっても、電気グルーヴが解散するわけではないし、たまむすびが終わるわけではない。まだみんな生きている。生きてこそだ。