偽革命

7時前起き、PCをつけ、いったんWindowsにログインして、もう一度DVDを焼き直そうとしたら、ブートローダが壊れていた。昨日、インストールが途中で失敗したせいだろう。

7時半に実家を出る。四谷三丁目から初台まで自転車。8時40分に着いた。コンビニでおにぎりとあんパン食べる。

午前中、テーブルの構造を再考する。だんだん整理がついてきた。

昼、「山田屋」で中華丼食べる。

「党生活者」読む。小林多喜二の死後、というより戦後に発表されたらしい。戦前は出せまい。
小説で描写されている政治活動は、現代人の感覚では実行不可能だと思った。それは昭和から平成にかけて変化した価値観と関係がある。
例えば、同志伊藤の描かれ方は、革命のために性別は関係ないという考えに基づいた理想的女闘士という感じなのだが、性別など関係ないというよりは、男のようにふるまい、かつ、必要に応じて女の役割も果たす、男にとってたいへん都合のいい女であり、こりゃダメだろうと思った。『ノルウェイの森』でミドリちゃんが学生運動の男たちについて文句をいう場面を思い出した。女はおにぎりを握って持っていかなきゃいけなないのに、そのへんをテキトーにしているミドリちゃんは、非難がましいことを言われる、とかいうのだったかな。おなじ身勝手さを感じた。その革命、成功せんだろう。
「蟹工船」でも思ったが、資本家を悪とみなす考え方が単純すぎる。奴らを倒しさえすれば未来はバラ色みたいになっている。

根底にあるのが「革命」であることが、戦前の共産党が非合法にされた最大の要因だと思った。国としては、ソ連の傀儡化を避ける云々より、治安維持目的だったろう。
革命という手段は、20世紀において過大評価されたのではないか。お手本はロシア革命、中華人民共和国成立、キューバ革命か。しかし、ロシア革命はロマノフ王家の政治体制が時代と合わなくなってきて、仕事はねえパンもねえ、おらこんな国は嫌だ状態になり、その時点で民衆をまとめられたのがたまたまレーニンであったということなんじゃないかな。資本家打倒というわけではなかったはず。キューバは、アメリカの影を払拭したという意味では資本家打倒だが、すでに冷戦の代理戦争化しているような気もする。中国も革命と言うより内戦だし。
資本家を打倒して労働者の国を打ち立てた革命なんて、過去あったのか?
子供の頃、よく鉄道のストライキがあった。最近はほとんどない。実際に起きたら、ナウでヤングなゼネレーションを中心に、その路線は大炎上するだろう。もはやストは大衆の支持を得る方法論ではなくなっている。デモもそうなりつつあるかもしれない。
が、団結そのものにはまだ可能性がある。問題は、やり方を21世紀バージョンにアップデートしてないないことだ。革命が必要なのは、手段にだ。

午後、SQL Server のテーブルを選択クエリにしたものを使い、同期の仕組みをぼんやりと考える。

5時頃、激しい雨が降ってきて雷が鳴り始めた。しかし6時にはやんでいた。自転車でまんまと帰宅。途中サミットで買い物。うなぎときゅうりが安かったので買う。

夕食に、うな丼、なすのぬか漬け食べる。

昨夜、実家で青竹踏みをしたら、むくみがとれて非常に具合が良かったので、100均でプラスチック製イボ付き偽安物青竹を二つ買ってきて、キッチンと洗面所に置いた。
しかし踏んでみると、イボ部分が痛かった。ツボが痛いというより、イボイボで皮膚をこすられるのが痛かった。そうだ。前も100均プラッチック製駄不良嘘青竹を持っていたが、その痛みが理由でほとんど使わず捨ててしまったのだ。表面がつるんとした青竹の方が絶対に踏みやすい。たぶんブラッチックのは強度アップのためにイボイボをつけているのだろう。とにかくネットでモノホンの、竹を割ったような青竹を買おう。

外から時々、雷鳴が聞こえた。今日も走らず。雨ならいいが、雷ゴロゴロの真下を走るのは、おへそ的にいやだった。

ゴミ捨てのために外に出ると、東の空にたちこめている雲の上の方に、壊れた蛍光灯のようなペースで稲妻の光が明滅していた。雷鳴は聞こえなかった。南東の空には月が浮かんでいた。不思議な眺めだった。

12時就寝。