今年のトマト水耕栽培

6時起き。朝飯にもつ煮カレーとカブのぬか漬け。

水耕栽培トマトを処分した。

先週、台風の前にトマトを部屋に入れた。その時、枯れている葉を刈り、緑の部分だけ残しておいた。
今朝見ると、全体の半分に枯れが進行し、緑の部分は色が淡くなっていた。葉と葉の間にはごく小さな蜘蛛の巣ができていた。根の色はきれいだったがひと月前と比べて育っていなかった。それでも水を吸う力は残っていて、台風前に満杯にしたのに、水位はけっこう下がっていた。水を吸っても、栄養分は葉に行き渡らなくなっているのだ。死にかかっているのは明らかだった。

園芸ばさみで、先端から茎を15センチずつ切っていき、ゴミ袋に入れた。袋二つ分になるかと思っていたが、すべての茎と葉がひと袋の半分に収まった。根は濡れているので、縁側で干し、乾燥してから捨てることにした。
トマト棚を解体し、支柱をまとめ、掃除をし、容器のゴミ箱を浴室で洗い、塩素で消毒した。

今年の水耕栽培は、昨年育てた茎を越冬させることから始まった。カメ飼育用ヒーターで溶液を温めつつ、容器を外に置いていたのだが、1月下旬になると葉が寒さで凍り付きそうになっていたので、室内に入れた。この頃、葉は枯れていなかったが、成長は止まっていた。

2月半ばになると陽の光が部屋に差し込むようになってきた。最低気温も氷点下になることがなくなってきたので、再び外に出した。

3月半ば頃から新しい葉が育ち始めた。蕾もできた。下旬になると花が咲いた。このペースでいけば4月に結実し、連休頃から収穫できるぞとほくそ笑んだ。

しかし、4月になるとどういうわけか成長が止まり、花も実をつけずに落ちてしまった。そして、下の方から枯れ始めた。トマトーンスプレーを花粉にかけて着果を促しても、実の上下の葉が枯れてしまうと大きくなりようがなかった。
根っこを調べてみると茶色に変色している部分があったので、半分以上の根をカットした。それでも枯れの進行は止まらなかったので、新しく生えた脇芽をいくつかカットし、ペットボトルに真水を入れて、根が生えるまでつけて予備の苗にした。
今思えば、この時の脇芽も元気がなかった。なかなか根を生やさなかった。萎れてしまうものもあった。

結局、元の茎はその後も枯れが進行したので処分し、根が生えた脇芽と差し替えた。それがれ5月の連休前後だった。養液も新しくした。元の茎が病気だったとすれば、脇芽も枯れるかもしれないと思い、新しくトマトの苗を買ってきて予備に植えた。

5月は天気が良かった。脇芽と、新しく植えたトマトは順調に成長した。6月になるとどちらも実をつけるようになったが、新しく植えたトマトの方が成長は早かった。
6月の終わり頃から、梅雨のため雨ばかりが続いた。脇芽の下の葉がまた枯れてきた。4月の時と症状は似ていた。新しいトマトにも同じ症状が見られた。それでも、成長の方が早かった。

第一果は新しいトマトの方にできたが、赤くなったとたん鳥に食われた。すぐにトマト棚を作って防鳥網を張った。第二果、第三果は無事に収穫できた。

それから先に実ったトマトはどれも大きくならなかった。実が大きくなっていく時期に、上下の葉っぱが枯れてしまい、それ以上育たなくなってしまうのだ。結局、ミニトマトより少し大きいサイズのトマトばかり、7月から8月にかけて収穫できた。主に新しいトマトの方にできて、古い脇芽トマトからはほとんど収穫できなかった。
8月になるとヨトウムシによる食害に悩まされた。虫が小さいうちはなかなか見つけられず、被害が広がってからようやく肉眼で見つけられるようになった。見つけては、爪で地面に弾き落としたが、若い葉と芽をずいぶん食われた。

9月になって日照時間が短くなっても、トマトは生き続けた。病気、枯れ、長梅雨、鳥害、虫害に悩まされ続けてきたのに、枯れきってしまうことなく生き延びた。
10月に入ると日にあたる時間が短くなり、成長するペースがすっかり落ち、枯れる速度が追いついてきた。茎を隅々まで点検したところ、小さい虫が葉にたかり、新しい葉は大きくなる前に枯れ、全体のサイズが縮小しているように見えた。死にかかっていると思った。
それでも、脇芽を水につけて別の苗にして育てれば、また越冬できるかもしれないという望みがあった。台風が来る前まではそう思っていた。
しかし、今日、トマトを調べてみて、もはや脇芽が育つほどの生命力は残っていないと思った。

栽培には失敗したが、今年の水耕栽培は学ぶことが多かった。
うちで栽培する場合、収穫は7月下旬までと割り切った方がいい。それ以降は暑すぎて実をつけないし、暑さが峠を越えると日照時間が短くなる。
理想的なのは5月中に第一果を収穫することだと思った。そのためには3月に植え付け、4月には着果が始まっていないといけない。今年はそうなるはずだった。もし、新しい苗を3月に植えていたらどうなっていたか。
気をつけるべきは、とにかく水質だ。傷んだ根はバクテリアに分解されるのだが、痛みの進行が早いとおそらく分解速度が追いつかず、水質が悪化する。水耕なので水が悪くなるといちころだ。
蓋にしていた発泡スチロールのサイズが合わなかったのもよくなかった。もう少し分厚いものを、ぴったりはまる形にした方がいい。

夕食に鍋物と生牡蠣。どちらもポン酢で食べた。生牡蠣は例によって大根おろしで洗った。旨いのだが、殻のない牡蠣は盛り付け方が難しい。

DURAN DURANの2017年ジャパンライブ映像を見た。途中、ナイル・ロジャースが登場した時、サイモンがナイルの誕生日を祝った。ベタな展開なのに恥ずかしさがなかった。サイモンは、明るくて屈託がなく、病的でないところがいい。BAND AIDのレコーディング時、U2のボノが居心地悪さを感じているのを気遣ったエピソードといい、ナイスガイだと思う。
80年代に活躍した洋楽アーチストたちの中で、DURAN DURANが40年近く経っても現役でいるなんて、誰が想像しただろう。メンバーチェンジは何度かあるが、解散と再結成は一度もない。ニック・ローズとサイモン・ル・ボン偉いのだろうな。
そして2017年のサイモンは、声が実によく出ていた。若い頃より上手かった。
来年はデビュー40周年だ。来日してくれたら今度は行きたい。