三週前の負荷

6時半起き。
材料が残っていたのでハンバーガーを作り、残りのいなり寿司と一緒に食べた。

8時に家を出る予定だったが、ゴロゴロしていたら睡魔に襲われ、12時間でぐっすりと寝てしまった。
しかし、そこで諦めず、12時半に家を出る。永福から下北へ。昼飯に富士そばで天ぷらうどん。
小田急で秦野へ。6月7日にフルマラソンを走るため、三週間前の今、足に負荷をかけなくてはいけなかった。そのための峠走をするため、ヤビツ峠を走ることにしたのだ。

車内はガラガラだった。

車中で、『破戒』読了。
『罪と罰』との類似点を意識してから、展開がベタに思えて仕方なくなっていたのだが、読み終わってから解説を見ると、作品が書かれたのが明治39年と知り、ならば無理はないと思い直した。なぜか、昭和初期に書かれた作品だと思いこんでいたのだ。明治39年でこの内容ならむしろすごい。『吾輩は猫である』とほぼ同時期だ。

2時半に秦野着。ロッカーに荷物を入れ、ヤビツ峠を目指して走った。

今回はストップウォッチをセットし、40分ごとに休憩をとることにした。

名古木交差点ではなく、裏道の古道を選択し、上り始めた。古道の道は狭く、両脇に野原や畑があり、眺めがとても良かった。
その道もやがて、名古木交差点から伸びる県道70号線に合流する。

40分で、水車のやや先の方に着いた。段差に腰掛けて息を整えた。そこから先は、蓑毛バス亭前までの急坂になっていた。
小休止後、その急坂を上った。覚悟ができていたので、上を見ずに淡々と走った。バス亭に着いた時「もう?」と思った。平常心の勝利だとその時は思ったのだが、後から地図を見ると、急坂の長さはたかだか700メートルしかなかった。「もう?」が、結果的に過信となってしまったが、この時はまだわからない。

バス亭でスポーツドリンクを買い、少し飲み、ランニングポーチにセットした。蓑毛バス亭から先は山道となり、カーブが続く。バス亭前の急坂より勾配はむしろ緩い。今回は前回よりいいペースだと呑気に思いながら坂を上った。
ところが、どのあたりでか、(そろそろ菜の花展望台のはずだ)と思い始めてしまった。これが失敗だった。実際は蓑毛から展望台まで、まだ半分も走っていなかったのに、カーブを曲がるたびに(まだか?)と、休憩を心待ちにするようになってしまった。

そのうち、距離とは関係なく40分が経過したので、道の端に座って休憩した。疲労感がすごかった。メンタル要因の疲労感だったろう。

走りを再開したが、展望台はそこからも結構あった。(こんなに遠かったっけ?)と思った。刑期が延びた囚人のような心境になっていた。

展望台は駐車場が閉鎖されていたが、ベンチに座ることはできた。横になると、真上に新緑と木々と青空があった。冷たい風が体を心地よく冷やした。そこら中から鳥の鳴き声が聞こえた。スマホを見ると時刻は4時15分だった。

なんかもう、走りたくねーなー、このまま帰ろうかなー、と思った。

息が整ってから、展望台からヤビツ峠までの距離を調べた。3キロちょっとだった。足柄峠や和田峠と違い、その3キロで勾配がエグくなることはない。せっかくここまで上ってきたのだから、やはりゴールを目指そうと思った。

走っては、バテて、少し歩くを繰り返すように、ヤビツ峠へ向かった。延々と上り続けてきた疲労がピークに達していた。やはりヤビツ峠は手強い。なめてかかってはいかんな、と思った。

5時にヤビツ峠に着いた。洗面台で顔を洗い、10分ほど休んでから、来た道を下りた。

下り坂を走ることで、勾配がどのくらいのものだったのかがわかってきた。足が止まらなくなるほどの急坂は、蓑毛からヤビツ峠までの間には、三、四箇所しかなかった。劇坂ではなくそこそこの坂が延々と続くのが、このルートの特徴だ。

30分走って10分休み、また走ると、すぐに蓑毛バス亭に着いた。ちょうど、6時を知らせる放送が流れた。

その先、蓑毛バス亭手前の坂は、下りてみるとやはり、全体でいちばんキツい坂だとわかった。

途中で、来た時と同じく、古道のルートをとって駅を目指した。暗くなってきたので、切り通しの道が暗くなっていた。肝試しにぴったりの道だと思った。

日が沈む前に秦野駅に着いた。前回は名古木交差点をゴールにして、そこから青息吐息で駅まで歩いたのだが、今回はそこまでバテずに済んだ。

ロッカーから荷物を出し、小田急で伊勢原へ。
『麻釉』へ行き、夕食に焼肉重を食べた。ご飯を普通盛りにしたので、何の変哲もない普通の丼物を食べているみたいになってしまった。ここはランチタイムに来ないとCPの高さを実感しにくいかもしれない。

永福のキッチンコートで買い物をし、9時半帰宅。入浴し、ビールとシャンパンを飲んだ。

1時半就寝。

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