『カラマーゾフの兄弟』読了

9時過ぎ起き。あっついので、夜寝る時はエアコンを止めるという生き方は断念した。夜のエアコンは温度設定を27度くらいにしている。

としまえんが今日、営業最終日とのことだった。一度も行ったことがないまま歴史にピリオドが打たれてしまった。ランニングで入り口の前を通ったことは何度かあるんだがなあ。

今日も暑かったが、昨日よりはわずかに涼しくなっているような気がした。

11時半、青梅街道沿いの『甲斐』へ行き、昼飯につけ麺を食べた。

午後4時半、走りに行く。
走るついでに、電池の回収Boxに使用済み電池を捨てる予定だった。そのため回収Boxが置いてある永福町の電気屋を目指した。
走り始めると昨日より体が軽かった。そして汗がたくさん出た。時刻が4時台だったので気温が下がり楽に走ることができ、昨日よりペースが早くなったためだろう。
永福町の電気屋前までノンストップで走る。回収Boxは店の中に入らないとなさそうだった。小さな町の電気屋だし、小さい電池を捨てるためだけにわざわざマスクをした汗ダックダックガイとして入っていくのは気が引けた。
高井戸のリサイクルセンターにも回収Boxがあるはずだったので、井の頭線に沿って高井戸に向かった。
やはり体が軽かった。ここ一、二年で一番、いい感じで走れているような気がした。どうしたんだろうオレは?
高井戸に着きリサイクルセンターの前まで行くと、すでに閉館していた。他に回収Boxはないかとスマホで検索すると根本的な間違いに気付いた。捨てようとしているのは普通の単三電池だったが、回収Boxで受け付けているのは充電用電池なのだった。普通の電池は燃えないゴミの日に捨てればいいのだ。
電池持って走る意味なかったなあと思ったが、今日は体がとても軽かったので、まあいいやと思い直した。で、環八を渡り住宅地を北に走り、人見街道から再び環八を渡り家まで走った。途中、信号が点滅していたが、ペースを上げて渡った。これができる時は調子がいい。ジャイアント馬場さんでいえばジャンピングネックブリーカーを出す時の状態だ。
昨日と同じく最後の300メートルほどをダッシュした。昨日はそのダッシュで、対山王工業戦の三井くんみたいにヘロヘロになってしまったが、今日は昨日より速く走れたし、ゴールしてからの息もそれほど上がっていなかった。
走行距離はおよそ10キロ。

なんで今日はこんなに調子が良かったのだろう。昼に炭水化物を摂取したからだろうか? 昨日の夜も茹でたジャガイモをオリーブオイルとお酢でマリネしたやつを食べたので、グリコーゲンの蓄えがあったのかもしれない。
しかし、同じような食べ方を6月のマラソン前日にしていたが、あの時は駅の階段を上るだけでも力が入らないなあと感じていた。

気温が低くなっていたからだろうか? それはあるかもしれん。先週は汗をかくためにわざわざ暑い時間を選んで走ったが、太陽が照りつけていると運動強度をちょっと強くするだけで心拍数が激上がりするような感じがした。

あと、昨日やったダッシュ走のため心肺が強化されたのか? という仮説も頭に浮かんだ。今日の走り始めは、たぶんキロ5分台半ばくらいのペースで走ったが、息がすごく楽だなあと思っていた。

いずれにせよ、糖質制限開始以来初めて満足なペースで走ることができたので、秋のフルマラソンを走ることに決めた。
大きな大会はほぼほぼ中止となったので、多摩川沿いを走るミニ大会を見つけ、エントリーした。10月24日。

『カラマーゾフの兄弟』下巻読む。今日は8月31日なので、今日までに読み終わりたかった。で、イワンの章の終わりの方から、エピローグまでを一気に読んだ。

イワンは、スメルジャコフから犯人を知らされ、そそのかしたのはイワンだとほのめかされる。同じ思いを抱いていたがゆえに、それはイワンの精神に強い影響を及ぼす。さらにとどめとして、スメルジャコフは秘密を抱えたまま自殺してしまい、イワンはただ一人真実を知るものとして放り出されてしまう。
ドミートリーの裁判が始まる。兄者の暴言芸がここでも炸裂する。証人としては、ラキーチンがいったん上げられてから落とされるという、『罪と罰』のルージンみたいな扱いを受ける。
検事イッポーリトの陳述は長いが、スメルジャコフの件を知って読むと茶番そのものに思える。何が罪で何がそうでないかを決める裁判という場を、けちょんけちょんにバカにするため、スメルジャコフの野郎は陰謀を仕組んだのかなと思った。それはつまり、自分なんかをこの世に生んだ存在への復讐であるわけだ。
対する弁護士フェチュコーウィチの陳述は弁論術として見事だった。『ジュリアス・シーザー』のアントニーの弁論を思い出した。欧米においてこうした弁論術というのは、ギリシャ時代におけるソフィストからの「型」があるんかな、とも思った。あるんだろうな。
しかし陪審員たちの意見にフェチュコーウィチの弁論は通じず、ドミートリーは完全有罪となる。ロシアの土の意思が通ったんだな、という印象を受けた。
エピローグ。結核で亡くなったイリューシャの葬儀。スネギリョフの悲痛さと慟哭には、読んでいて胸が締め付けられた。アリョーシャは葬儀にやってきた少年達に、イリューシャのおかげで僕たちは友だちになれたのだと言い、別れと、友情の誓いの言葉を交わす。
このアリョーシャのセリフにぐっときた。鳥肌が立った。たぶん、イワン編から続けて読んできたからだろう。

上巻を読み始めたのは7月21日で、下巻を読み終えたのが8月31日。我々世代が認識する夏休み期間とぴったり一致した。