再読して気付くこと

7時起き。

ベッドに伸ばしていた右足を曲げようとすると、膝に痛みが走った。
朝飯に、昨日の残りの肉を焼いて食べてから、ロキソニンを飲んだ。

飲んで少し経つと、足を曲げられるようになった。

右足を伸ばすようにして午前中を過ごした。

昼、足を曲げようとすると、痛みが残っていた。

昼飯に、カレーを豆腐にかけたものを食べた。

午後、今度は座った状態で過ごした。曲げた足を伸ばすと、また曲げるのが大変だと思ったからだったが、夕方椅子から立ち上がろうとすると、朝よりも楽に立てた。今の症状においては、膝を曲げていた方が良いらしい。

夕方、モモ肉のトマト煮、牛肉とピーマンと玉ねぎの炒め物、鯖の塩焼きを食べた。

『虚航船団』読む。
第三章「神話」は、第一章と第二章をしっかり読んでいないと面白くないのだが、第二章は小説ではなく編年体の歴史書として書かれており、なおかつ架空の歴史であるため、読みづらいと思う読者がいるかもしれない。
オレは昔から歴史が好きだったので、歴史書の体裁に抵抗はないのだが、それでも初めて読んだ21歳の時は、架空の地名と人名を覚えるのに苦労した。
というより、あの頃のオレは本を読む能力が低かった。前のページに一度出てきたのに忘れてしまった名前を調べ直さなかったり、読んでいて頭に場面を思い描けない時に読み返すということをまったくしていなかった。
なぜかというと、そういうことをしないでどんどん先に読んでいく方が読んだ本の冊数を多く稼げるからだった。とにかくたくさん読むということが、十代から二十代にかけては重要だったのだ。
そういう読み方を自分に許した結果、読書は自分にとって負担の軽い行為となり、結果、習慣となったわけだが、読み方も浅くなった。昔読んだ本を再読すると、当時の自分がちゃんと読んでいなかったことに気付くことが多い。この前『カラマーゾフの兄弟』を再読した時もそれを感じた。
今回の『虚航船団』再読は、不思議なことに登場人物や地名がすいすい頭に入ってくる。なぜなのかわからない。頭がそういう状態なのかもしれない。秋は人の頭をそうさせる季節なのだろうか。だから読書の秋というのだろうか。