『騎士団長殺し』第2部読了

走らなきゃなあ、でも面倒くさいなあ、と思いながら平日を迎えた。
面倒くさい理由は、色々あるが、とりあえずまだ暖かくないということがひとつ。
もし今が7月なら、日が沈んでから軽く走り、シャワーで汗を流すということが、普通に気持ちいい。
3月に入ったとはいえ、朝は寒く、去年の5月から9月にやっていたように、起きてからすぐ走るということはできない。
汗が出るまで走るには、1時間くらいかかるだろう。

仕事から帰ってきて走るというのも面倒だ。
7時や8時に帰って、着替えて、寒いなイヤだな、と思いながら10キロ走って、家に帰って風呂に入って、あがってご飯食べたら、もう10時だ。

それでも2008年の冬は、特に2月は、真面目に走っていた。
初めてフルマラソンに挑戦するということが、モチベーションを支えていた。

フルに挑戦する3年前から、日常的に10キロ走るということはしていた。
当時はまだ小金井に住んでいて、連雀通りを三鷹通りまで往復するのが、基本の10キロコースだった。
今の足の基本ができたのはこの頃だと思う。
駅の階段を駆け上がる時、下半身が勝手に上半身を運んでくれる感覚を味わった。
まだ東京マラソンがなかった時代だ。

初めてのフルマラソン挑戦も、元は東京マラソンエントリーがきっかけだった。
第2回大会。
エントリーすれば走れるものだと思っていたら、落選メールがきて、このままじゃ収まらないと思ってエントリーしたのが、荒川市民マラソンだった。

以来、第3回、第4回、第5回、第6回、第7回と落ち、久々にエントリーした今年の第11回も余裕で落ちた。
言いたいことはひとつだけ。バカヤロー。

夜7時帰宅。
プルコギ丼を作って食べる。

『騎士団長殺し』第2部読了。
第1部冒頭が伏線だとしたらそれは満たされ、時間経過もあり、物語は終わったかのようだ。
が、終わってないな、と、過去の村上作品と比較するまでもなく思う。
免色さんの物語が、第3部に書かれるはずだ。
そのために、他の人物の物語を終わらせておいたんじゃないかとさえ思う。

騎士団長、顔なが、それぞれ魅力的だったが、一番興味深かった登場人物は免色だった。
彼は、ギャツビー氏を思わせる。
というか、意図的にギャツビー氏ふうの人物を、村上春樹が作ったと言うように思える。
第2部までは、これまでの作品にもあった、失うことと取り戻すことを主題にした神話の繰り返しだった。
その中に、ギャツビーがいることは、とてもワクワクさせらる読書体験だった。
第2部の終わりは、免色のことをわざと書かずにおいているようだった。
それは、第3部のためにとっておく、みたいな。
あるいは、第3部こそ村上春樹が本当に書きたいことなのではないか?
スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッビー」といったら、村上春樹が人生においてもっとも影響を受けた作品ではないか。

もし第3部が、「グレート・ギャッビー」へのオマージュとして上梓されるとしたら、その待ち遠しさは今回の比ではない。
それはつまり、「カラマーゾフの兄弟」も、いずれ書かれるんじゃないかと思えるからだ。
ああ、そうなったら、この世の誰にも感想なんか言わないもんね。
ずぶずぶに溺れて、快楽に身もだえるもんね。