『芸人』は新しい言葉

朝7時起き。二度寝して11時起き。
買い物に行き、カップ麺と冷凍たこ焼きを買ってきて、昼に食べた。

村上春樹『一人称単数』読了。
8編の短編収録。そのうち、2019年の『文學界』に掲載された3編は私小説といってもいいものだった。村上春樹が私小説を書いたのはそれが初めてではなかったか。
今年刊行された『猫を棄てる』は、父親のことを書いた随筆のようなものだった。そういう個人的なことが書けるようになった背景には、年齢のことも含め、さまざまな心境の変化があったと思う。今回の『私小説』もその影響下に書かれたもののように思う。
『東京奇譚集』収録「品川猿」の続編といえるような短編も収録されていた。温泉旅館で村上春樹が猿に背中を流してもらい、その後部屋で猿から身の上話を聞くという短編だが、前作同様、猿の台詞や描写が笑えた。着ている服のロゴが「I LOVE NY」というところなど、読むのを止め、笑う時間をとらなくてはならなかった。
ラストの作品は表題作の書き下ろしだった。他の作品と比べると不気味な印象があった。読み終えてから我が身に置き換えて考えると、おれもきっとどこかの誰かに、身に覚えのない怒りを買っているかもしれないと思えてきた。それは誰にでもありうることだし、そんなことがあると想像するのは不気味なことだ。

ここ数日、読書がはかどっているので、過去、読んでも全然頭に入ってこなかった本を再読しようと思った。で、本棚からバルザック『谷間の百合』を出した。

この、三角コーナーの生ゴミブログで『谷間の百合』を検索してみたところ、2002年の11月に読んでいたことがわかった。ああ、あの頃だったか。三本立て公演などという無茶な企画をすることになり、毎日稽古をしていた頃だ。思い出したくない…

夕食に、豚肉をタレに漬けた焼いたものと、千切りキャベツを食べた。麺類を食べても、一日に摂取するトータル糖質はどうやら150g以下になっているようだ。

Youtubeでとんねるず関連の動画を見る。7月に『貴ちゃんねるず』を見始めて以来、とんねるず熱が再燃し、毎日のように見ている。『貴ちゃんねるず』が好評のため、熱心なワンフー達がここぞとばかり自身の録画した番組をアップしているのか、とんねるず関連の動画が増えているように思える。
アップされた番組の時期も、80年代半ばの『オールナイトフジ』から、2010年代後半の視聴率的に苦戦していた『みなさんのおかげでした』までまちまちだ。しかし、時期に関係なく、どれもちゃんと笑えるコンテンツになっている。とんねるずを知らない世代が動画検索を通じて新しいファンになってもおかしくない。
先日の『RED Chair』で貴さんは、自分たちがデビューした頃は『芸人』という言葉はなかったと言っていた。ゆえに、芸人と言われると困惑すると。
確かにそれはその通りだ。『芸人』という言葉がジャンルとして使われ始めたのは90年代になってからだ。それまでも言葉としてはもちろんあったが、たとえばオールナイトニッポンでビートたけしが使っていた時のニュアンスは、お洒落なお笑いタレントに対し、アナクロさで対抗するようなものだった。
ダウンタウンがブレイクした1994年時点においても、『芸人』という言葉にはまだアナクロさが少しばかり残っていたと思う。現在の身分としてではなく、出自を語る時に『芸人やしね』というような使われかたをしていた。
実際、当時何かの番組で木村祐一が自分のことを「コメディアンや」と言っていた。今はむしろ、コメディアンという言葉の方が死語に近づいてる。
しかし、おそらく90年代末から2000年代はじめのどのあたりかで、『芸人』という言葉が、アイデンティティーを示す言葉として定着した。証拠があるわけではないが、その時代をリアルタイムで過ごしてきた感覚としてそう思い出せる。個人差はあるだろうけど。
いずれにせよ、『芸人』という言葉は新しいものだと考えた方がいい。言葉としては古いが、廃校になった校舎をリノベートし、名前は同じだけど全然違う学校を設立したようなものだ。それでいて、創立90周年とか謳うようなものだ。