『谷間の百合』読む。
最近、小説を読むと、場面がすいすい頭に入ってくる。3月に『ペスト』を読んだ時にそれを感じたが、持続しているようだ。
ありがたいことに、以前読むのを諦めた『谷間の百合』再読も、今のところ順調に進んでいる。
フェリックスは客人としてモルソフ伯爵の家に出入りするようになる。そして伯爵が理不尽な言いがかりや子供じみたわがままで夫人を苦しめているのを理解する。夫人は自分の名前はアンリエットだとフェリックスに伝える。フェリックスは伯爵がイライラをぶつける矛先に自分がなるなどして、夫人と一緒の苦しみを進んで味わう。彼は若いので肉体の欲望に苦しんでいる。しかし夫人は決して、一線を越えさせようとはせず、フェリックスの母代わりになって、彼の出世の助けになろうとする。
午後、福生の『たんぽぽ』へ。
ここは、古いパチンコ台を置いているゲームセンターで、今年の春頃までパチンコ店として何十年も営業をしてきたらしい。
1時間、2時間、時間無制限のコースがあり、その時間内、店内の好きなパチンコ台を好きなだけ打てるというシステムだった。
2時間のチケットを買った。
入り口に積んである、玉の入った箱をひとつ持ち、店内をうろつきながら打つ台を探した。箱は、昔あった800個入りの長細いやつだった。
まず初めにドリームXを打つことにした。90年代初頭の新要件機登場直前に大流行したデジパチだ。
当時のデジパチにはおまけチャッカーというのがあり、釘次第で大当たり時の出玉をコントロールできた。そのため一回の大当たりで3000発出す店もあった。
この台は、リーチした時に右端のルーレットが動く数が決まっていたので、リーチの瞬間大当たりの判別ができた。だからといって確率が上がるわけではないのだが、長時間打つ時に気を持たせて結局外れるということがないのは気が楽だった。台選びさえ間違えなければ、長時間粘ることで勝ちを得ることができた。スランプがきても、ドル箱二箱分打てば一回は当たりがきた。四箱飲まれることは滅多になかった。
打っていると、10回ちょっとの回転で大当たりがきた。といっても、パチンコではなくゲーセンなので、景品交換は一切ない。
大きめのドル箱が台の上に置いてあった。それをおろし、下の受け皿にたまった出玉を移した。
それをしながら、下の受け皿の出玉はなるべくそのままにした方がいいという教えが、昔あったのを思い出した。その方が台の傾きが安定するというのだ。
しかしデジパチの場合、当たるか当たらぬかはコンピュータのプログラム次第なので関係ない。ドリームXは、おれが初めて打ったデジパチだった。
それ以前は羽根モノを打っていたので、そうした教えをけっこう忠実に守っていた。わらにもすがりつきたいほど勝ちたかったんだなあ、当時は。
大当たりが終わり、少しするとまた当たった。保留玉でこそないが立派な連チャンだった。あわててもう一つのドル箱を上からおろした。
右後ろに座っている客は綱取物語を打っていた。おそらく天国モードに入っているようで、足元にはドル箱が8箱ほど積まれていた。ドル箱といっても、2000年代以降のひと箱1500発くらいの貧弱ドル箱ではなく、羽根モノの打ち止めにも対応できるサイズの大きさだった。それで8箱なら、現在の店なら16箱くらいになるのではないか?
色々な台を打ちたかったのでドリームXはそこでやめにした。店員さんによると、出玉をジェットカウンターに流すとレシートが発行されるとのことだった。
二箱を流すと、玉の個数は5100個ほどあった。最初に用意した玉の分もあったので、大当たりの出玉は1回2400個前後といったところだろう。90年代初頭、換金率が2.5円として、大当たり1回6000円の計算になる。ドリームXの大当たり確率は、確か225分の1だった。6000円で225回以上デジタルが回る台を打てば、勝てる確率が増す。1000円で37回前後だ。
これが石橋達也のボーダー理論だ。懐かしいなあ。
しかし、今の時代、225分の1で2400発出るパチンコ台なんて存在しないだろう。90年代末期にも、そんないい台はなかった。
次に、マジックカーペットを打った。これは、羽根モノとしては出玉が多いのが売りで、当時流行りの貯留システムを備えている。
打って間もなく玉がVゾーンに入った。その後2回当てた。大当たりの継続回数は、7回、1回、8回だった。この台はその後もニューバージョンに形を変えて生き延びたので、懐かしいという気があまりしない。
次に、権利物のホー助君DXを打った。写真は撮り忘れた。
釘が大甘になっているので、ルーレットを何度も回すことができ、すぐに大当たりを引けた。その後、当たりが続いたので、ドル箱が6箱になった時点でやめた。
この台は2回権利ものだが、権利が終わってからしばらくはチャンスタイムがあり、その間にまた大当たりを引けば連チャンするのだった。今書いていて思いだした。
しかし、釘が悪くてルーレットも延々外す時は地獄を見る。CRルパン三世で10箱出した分を、こいつにそっくり飲まれたことがあった。
次に、初代のビックシューターを打った。これも、90年代初頭はどの店にも置いてあった。羽根モノで初めて貯留システムを搭載した機種だが、打ってみると大当たりの継続はかなりシビアで、羽根が最初に8回開くうちにVゾーンへ入れないといけない。
大当たりを3回引いたが、継続回数はどれも4回未満に終わってしまった。大甘の釘設定にしてこれである。そういえば、ビックシューターはよく打ったけど、いい思い出はあまりないなあ。
最後に、フィーバーパワフル3を打った。これも大ヒット機種。デジパチに液晶画面が使われ始めた頃の台だ。
この台も、いい思い出はあまりない。保留玉連チャン機なのに、連チャンしたこともない。
しかし、同じルーレット方式の亜流があり、江口寿史がキャラクターデザインをしたフィーバーガールズで大勝ちしたことはある。
今日打っても、リーチがほとんどかからなかった。最初に止まる左上と右下のマスに7がよく止まればリーチがきやすいのだが、全然止まらなかった。もしこれがパチンコで、本当の勝負だったら、500円で他の台に移っているところだ。
結局、大当たりを引くことはできなかった。
その時点で2時間が経過していたので店を出た。店員さんは気さくで感じのいい人で、「懐かしかったですよ」と感想を言うと、店を出てからも礼をしながら見送ってくれた。
東小金井へ。
『宝華』で、南国炒飯と、レバニラ炒めを食べた。20年以上通っていて、初めて油そばを頼まなかった。
南国炒飯は納豆炒飯で、全体の味つけがピリ辛になっている。ただの納豆炒飯ではなく、辛さとのバランスが絶妙だった。
レパニラ炒めは、汁気がないのにもやしとニラにしっかり味がつき、レバーと野菜を一緒に食べると美味しかった。
夜、Youtubeで持田香織の映像ばかり見る。