ハロウィンだから行く『ピザ屋想兵衛』

午前中は起きて朝飯を食べただけ。

昼、2時過ぎから走りに行く。今日は20キロを1キロ5分半のペース走。コースは水道道路を多摩川まで。

走り始めてから2キロほどはウォーミングアップのつもりで走ったが、時計を見るとキロ5分30秒台を切っていた。その後ペースを上げ、キロ5分10秒から20秒のペースで片道10キロを走った。
いつも10キロ地点にしている場所に着いても、ガーミンは10キロ経過のアラートを出してくれず、東名高速の橋をくぐるところまで数百メートル余計に走らなくてはならなかった。精神的に疲れた。
帰りの1キロを走ってから喉の渇きを覚えた。しまった、と思った。金を持っていなかった。先月、環七を東上線まで走った時と同じケースだ。
しかし、帰りの道沿いに公園がいくつもあったので、途中で水飲み場の水をたらふく飲むことができた。生き返る心地だった。
野川の橋を渡ってから世田谷通りまでの坂と、世田谷通りから日大に向かう坂がえらくキツく、尻肉がつりそうになった。この区間はキロ6分台までペースが落ち込んでしまった。
その後、ペースは5分台に戻ったが、トータルの平均ラップタイムは5分30秒台そこそこになってしまった。
1時間49分でゴール。

木曜日にタイムトライアル走5キロを2本走り、昨日はやや軽めに40分ジョギングをして、今日はペース走20キロを走った。レース本番は三日後。追い込みとしては十分だろうと思うが、本来ならもっと前から心拍数を上げる練習をしておかないといけなかったと思う。スピード練習もそうだ。
サブ4ランナーはそういう辛い練習を避けがちなのだという。まさにその通り。図星という名の秘孔をケンシロウに突かれ、「ずぼし!」とでも叫びながら肉体を四散させるような心境だ。

そういう練習をしていたのは、マラソン大会に出始めの頃までだった。初めて出場した2008年の荒川市民マラソンは、ネットタイム4時間2分という、今思えば十分な成績だったのだが、当時は4時間を切ることが出来なかったことが悔しくて、翌年同じ大会に出場するまで、練習で10キロを走る時などは50分台を切るように頑張っていたものだ。
それでも2009年は3時間58分とタイムは大して伸びず、同じような追い込みを2010年まで続けた結果、2010年11月の淀川市民マラソンで3時間46分で走ることができ、やっとサブ4ランナーになれたなあと実感した。

しかし、次の2012年の板橋Cityマラソンでは、スピード練習なしのLSDのみで3時間37分というタイムを出してしまった。以来、マラソン前にはLSDだという思い込みができてしまった。

昨年の11月、松戸で小さいレースに出た。しかし30キロ地点で轟沈し、残り12キロをよろよろペースで歩むことになってしまった。
心中、穏やかではなかった。なぜなら、昨年は8月中に、ほとんど一日も休まず毎日10キロ走っており、9月もそれに近いペースで走り込みを続けていたからだ。10月になってからは回数が落ちたが、一回あたりの距離を20キロから30キロに伸ばしていた。だから、きっと良いペースで走れると思っていた。
しかし、レース中の自分は、全然、ぜんっぜん、速くなかった。

そして今年だ。
3月に板橋Cityマラソンにエントリーしていた。で、とにかく今のおれにはトレーニングの負荷が足りないのだと思い、昨年12月から坂道トレーニングをはじめた。これがエスカレートし、1月からは峠走になった。2月までに峠走を3回こなし、3月になってからはLSDをしようと考えていた矢先、大会が中止となった。
ならばと、5月の、岩手県のマラソンにエントリーした。ただこの時は、エントリーしつつも、中止になるんじゃないかなあという予感があった。そのため3月から4月にかけて、トレーニングをする気にはなかなかなれなかった。
で、予想通り、岩手のマラソンも中止になった。

ならばと、中止にならないような小規模の大会にエントリーした。6月の調布だった。この大会のために5月から6月かけてヤビツ峠の峠走をした。同時に30キロ過ぎのへたり解消と体重コントロールを目論んで、糖質制限を始めた。
結果は、ハーフの距離を走ってのリタイアだった。足に力が入らず、へたったまま走り続けているような感じだった。糖質制限に体がまだ慣れていなかった。

直近が、先週土曜の大会である。時計を持たずに走り、ペースメーカーのペースに脅かされ、25キロ地点過ぎで4時間のペースメーカーに抜かれ、心が折れて棄権。

今までで一番情けない棄権だった。

しかし、棄権後にスマホアプリで、実は5時間30秒ペースを維持したまま順調に走れていたことを知った。そのまま走っていれば良かったのだ。でも、できなかったのだ。時計を持っていなかったから。

急遽、別レースに再エントリーをした。で、ガーミンを買った。

週が明け、今週、上乗せトレーニングをした。
今日もした。

明後日、レース本番。

振り返ると、結局2012年から2019年までは、スピードを速くするためのトレーニングをほとんどしてこなかった。そのせいだろうか、トレーニング中にランナーズハイになることが少なくなっていた。2012年以前だったら、「今日はフォレスト・ガンプみたいに延々と走れそうだな」と練習中に思えることが数回に一回はあった。その状態がレースの最中にやってくるのが最高なのだ。

とにかく、今回はもう、やれるだけのことはやった。あとは明日の朝、軽くジョギングして終わりである。

シャワーを浴び、新高円寺から上野へ。
『ジュエン』でランニングシューズを買い求めた。ASICSの幅広シューズを買った。店員さんに幅広だとフィット感がないことを言われたが、初のマラソンで両足に豆を作ってつぶす経験をして以来、シューズは大きめでないと怖くてしかたがない。

アメ横を通り、『二木の菓子』でナッツ類を買った。

6時過ぎ、新御徒町へ。
今日はハロウィン。となると、行かなくてはならないお店があった。

ピザ屋想兵衛。
学生時代の演劇の先輩、黒田さんが経営するピザ屋主体のイタリアンレストランである。食べログやGoogleで検索すると、近頃いい感じの点数になっている。

店は、昨年やその前に写真で見た時のように、蜘蛛や髑髏のデコレーションが、商店街の街路に突き出ていた。

まずは写真を撮ろうと思い、店の左およそ45度のあたりで写真を撮った。そして、そっと入り口に近づいた。店内には客が一組しかいなかった。しかし、ドアには「ピザ生地が終了しました」という張り紙がしてあった。

残念。ピザは食べられなかった。しかし、このゴテゴテ・デコレーションを色んな角度から余さず写真に撮れば、当日自分がやってきた証明になるだろうと思い、アングルを見つけるためドアから遠ざかった。すると、声が聞こえた。

「塚本、ピザはないけど、他のならあるよ!」

店長の黒田さんだった。どうも、テイクアウト用の窓から、スマホ片手に撮影しているおれが丸見えだったらしい。
「えっへへへ、どーも」
と、ペヤングソース焼きそばの九代目桂文楽みたいな挨拶をしながら、店の中に入った。

オニオンスープグラタンとワインを頼み、しばし、黒田さんからハロウィン飾り付けのことや、コロナ以降の経営について話を聞いた。
近くに宿泊施設がある関係でもともと外国人観光客が多く、オリンピックが始まったら大変だろうと思っていたが、中止になった。その代わり、テイクアウトなどで地元のお客様が中心になったとのこと。
もしオリンピックがあったら、地元需要はその分減っていたとも考えられるわけで、逆に言えば、潜在的な需要が掘り起こされた結果が今なのではないかと思った。ただ、個人県営の飲食店は、混めばいいというものじゃないのも難しいところだ。

Uber Eats については、批判的とは言わぬまでも懐疑的だった。
「雨が降っている時に、配達員の人がずぶ濡れで歩いていたりするのを見るとね」
そのメニューがお客様に届けられる時、届ける人はどんな状態か、ということだ。確かにそうだよなあ。

ハロウィンの飾りつけは、9月末から始めるとのことだったが、
「一日じゃ終わらないのはわかっているんで、初日に基本をやって、あとは日々ちょっとずつ」
アップデートしていく、とのこと。

今日は10月31日なので、黒田さんは顔を銀色系のペイントで塗りたくり、血しぶきが飛び散ったような衣装を身につけ、髪の毛を立て、ゾンビ系の風体で接客していた。
店の飾りもメークも衣装も売上とは一切関係なく、しかもメークや飾り付けに関して言えば、近所の幼児たちは怖がってお店に来なくなると言う売上マイナス要素があるのに、やる。毎年、やる。

なぜなら、やりたいから。

この、「なぜなら、やりたいから」には、大変多くの答えが詰まっていると、ヤングの演劇人達に言いたい。ここにリモートはない。けど、ここにも演劇が、たくさん詰まっているのだぞ、と、言いたい。

大変良い気分になったので、奥様にモヒートを追加で頼み、ゆっくり飲んだ。サービスに生ハムを戴いた。テイクアウト用の窓に、時折、近所の子供たちが、お菓子くれなきゃいたずらしちゃうぞ的な表情で近寄ってきた。黒田さんは、「ハッピーハロウィン」と言いながら、ストックしてあるクッキーなどの菓子類を窓越しに子供らへ渡していた。

8時過ぎにお店を辞去した。外で写真の撮り納めをした。

9時過ぎ帰宅。

以前、品川のシャチョさんであるオギーノ氏が、舞監について、本当に手伝いたい舞台は、手弁当で駆けつけると言っていた。
その気持ちは、決して義務でも資格でもないのだけど、その気持ちを一度でも持ったことがあるかどうかは、重要なことではないかと思う。
昔、後輩がやっていた舞台の手伝いを無理矢理したことがあった。その芝居は、無理矢理にでも手伝いたい作品だった。

それとこれとは別に、『作品』には『対価』が絶対必要ということもある。ただこれは、尊敬と敬意の問題もからんで来るように思う。
「誰それに頼めば安く済む」
みたいな頼み方は、その「誰それ」と作品を侮辱している。そういうことがわからずにお金を出しても意味はない。

お金はたくさん出せないんだけど、その人のその作品が良くて、その人のその作品でなくちゃいけなくて、で、自分の作品とコラボレートするからには、自分はこれだけの覚悟があって、ということを最低限示すことができれば、やっと、お金の問題じゃない、と言えるんだろうな。