フルマラソンで鶴見川を走った

4時に起きた。昨日『榛名屋』で買った赤飯と、残っていた豚まんを朝飯に食べた。

食べ終わり、さて、と考える。なぜこんな早い時間に起きたんだったか。それは、マラソンのスタート時刻が8時半だったので、4時間前に食事を済ませておきたかったからだ。

走るのは、鶴見川を走る小規模な大会だ。スタートは綱島。受付開始は7時半。うちから綱島までは電車で1時間かかる。駅まで歩くのにかかる時間を考えても、6時半前に家を出れば良かった。

5時過ぎに二度寝した。

6時に起きた。

フォームローラーでふくらはぎの筋膜リリースをし、着替えて、家を6時15分に出た。

丸の内線から副都心線経由で綱島に向かった。
車中、『素敵なダイナマイトスキャンダル』読了。あとがきによると、単行本化された後、最初の文庫化は角川で、話を持ちかけたのはあの見城徹さんだという。おーさすがだなあと思った。

7時15分頃に綱島に着いた。

鶴見川のスタート地点へ行くと、ちょうど受付を開始したところだった。体温を測り、チェックシートを渡し、テントの荷物置き場へ移動した。

中止にはならなかったなあと、ぼんやり思った。実は、会場に着くまでは疑っていた。
2010年の3月、板橋Cityマラソンに参加した時は、前日の強風のため設備が破損してしまい、当日中止になってしまったが、それを知ったのは会場に着いてからだった。
あの時なぜ事前に公式サイトを調べなかったんだろう?
当時は運営委員がまだネットの情報発信を使いこなせていない感じがあった。モバイルもまだガラケーの時代だった。だからネットで調べるという選択肢が頭になかったかもしれない。

8時くらいにジャージを脱ぎ、ふくらはぎを入念にストレッチした。何度も肉離れをやっているので、ストレッチはしつこくやった。

8時15分にスタート地点へ移動した。

大会の説明を聞く。今回開催できたのは、神奈川県であることが大きかったようだ。もし東京都の多摩川沿いだったら中止になっていただろう。
時々、東横線が鉄橋を渡る音が響き、説明の声が聞こえなくなった。

8時30分がスタート時刻だった。全体が20人ほどずつに分けられ、1分ずつ区切ってスタートゲートをくぐらされた。3分目のグループに入っていたので8時33分にゲートをくぐった。

距離調整のため下流に向かって2キロちょっと走ってから折り返し、スタートゲートを再びくぐった。そこから上流に向かって20キロ近くの距離を走る。上流の折り返し点は、こどもの国の東側あたりだったが、鶴見川流域の土地勘がないため、綱島からどのくらい遠いのか、感覚的にわからなかった。

新横浜近くを過ぎる時は、建物や第三京浜でそこが新横浜あたりだとわかった。その先はまったくわからなかった。高速道路のICが見えると、横浜青葉かなあと思ったりしたが、じゃあそこは折り返し点から近いのか遠いのかとなるとまるでわからない。
だが、地方のマラソン大会に出ればそんなのは当たり前のことだ。気にしてしまうのは、知らない土地のマラソンが久しぶりだったからだろう。

10キロを過ぎたあたりでは、キロ5分半ペースで走っていた。昨年11月と同じペースだった。少しペースを上げてみようかと思ったが、30キロを過ぎてから本気を出すのが正しいと小出監督の本に書いてあったのを思いだし、そのままのペースで走った。

そのあたりのどこかで、街道の信号にぶつかった。信号の手前にエイドステーションがあった。信号が赤だったのでランナーがたまり、水を飲んだりしていた。

走行距離が15キロを過ぎるまでは5分30秒ペースを維持していたが、18キロあたりで足が重くなってきた。過去のケースでは、そのあたりで筋肉が張ってくることが多かったが、今日はただ、重くなってきた。そしてスピードが出なくなってきた。小出監督のアドバイスどころではない。

ハーフの距離を過ぎ、さらに進んで、24キロほどの地点に折り返し点があった。そこでタスキをもらった。エイドステーションもあったので、水分と糖分の補給をした。

折り返し点を過ぎると、往路を走ってくるランナーとすれ違うことが多くなった。「ファイト!」と声をかけてくるランナーに返事をし、こちらからも声をかけた。昔はそういうことを全然しなかったのに、今日は積極的にする気になっていた。勢い余って、全然関係ないおばちゃんにも声をかけてしまい、(わたしは違うのよ!)みたいな感じで体をよけられたのがおかしかった。

ハーフの距離を過ぎた頃からペースは落ち、キロ6分台になっていたが、もう時計は見なかった。1キロごとにバイブが振動するので、その都度、今どのくらい走ったのかを判断した。

30キロを過ぎたところでエイドステーションに着いた。水で目の周りを洗った。顔中に塩が吹いているようだった。係の兄ちゃんが「あと10キロです」と言った。手元の時計は残り11キロ以上あると表示していた。時計のGPSがおかしいのか、それともコースがおかしいのか。GPSについてはいつも距離が長めになるなあと感じていたが、さすがに1キロ以上の誤差はないはず。両方とも少しずつおかしいのかもしれないと思った。

残り10キロは信じず、残り12キロのつもりで走った。最初の5キロを走ると、行きの時に止まった信号に着いた。また赤だったので、信号が近くなってから歩き、青になるまでふくらはぎのストレッチをした。青になって渡り、最後のエイドステーションでまた目を洗った。

残り7キロを走っていると、途中で道を間違えたことに気づいた。土手の下を走らないといけなかったのに、下りるコースに気づかず、上の道を走っていた。前方にまた信号が見えてきたことでそれに気づいた。信号は一箇所だけだったはずだ。
下りる階段がないか探しながら走ったが、信号に近づいてしまったので、転ばないように気をつけながら土手の傾斜を下り、下のコースに戻った。

残り3キロになると足を動かすのがかなり辛くなってきたが、歩くことはしなかった。ゆっくりでも良いから歩かずに完走したかった。

支流の橋を迂回して渡るコースが近づいてくると、遠くに線路が見えた。電車が走っていた。東横線だったらその辺がゴールだなあと思った。しかし手元の時計を見ると、ゴールまでまだ2キロちょっとあった。橋を迂回し川沿いに戻り少し進むと、土手の下に下りる坂があった。
その坂を下りる途中で、線路の向こうにあるスタートゲートが見えた。時計の残り距離はまだ1キロ以上あった。
後ろから女性ランナーが走ってきて、「あれ? 短いね」と言っていた。彼女も時計を見ながらそう言っていたから、やはりコースは若干短かったのかもしれない。

計測チップなしで走ったため、はっきりしたタイムはわかなかったが、グロスタイムでは4時間半近くかかっていた。時計の計測値は4時間19分だった。エイドステーションと信号でのストップ時間などあったが、順当なタイムだろうと思った。早くはないが、昨年と違ってサブ4の使命感なしに走ったので、止まらずに走れて良かったという満足感があった。昨年の6月と10月は、途中でサブ4が無理とわかった瞬間棄権したので、気分は良くなかった。もっとも、その挫折感がテコになったおかげで、11月の結果につながったのも事実だが。

今回、体の重さは先々週のファスティング程度では解消できなかった。三日前の22日木曜に30キロを走った時、走り終わった時の体重が昨年11月より3キロ重かった。ファスティングをやるなら、3月くらいにもっと本格的にやっておくべきだった。

体の重さに気づかなかったのは、走る回数が少なかったせいもある。昔は、たとえば3月にマラソンがあるとすると、12月くらいから走り込みを始め、最初のひと月は慣らしと同時に余計な体重を落とす効果があった。
今回は走り始めたのが3月9日くらいからだし、週末のLSD以外は、近所のトラックで心肺を追い込むトレーニングを中心にやっただけだった。しかも昨年同じトレーニングをした時のタイムと比べて随分遅かった。体が重かったからだ。そのうち絞れるだろうと思っていたが、4月になっても全然落ちていなかったので、焦ってファスティングをした。結果、昨年より3キロ増であったわけだが、ファスティングをしてなかったら6から7キロ増だったはずなので、マシになったともいえる。

途中歩くことはなく、坂があってもすべて走れた。腿とふくらはぎの筋肉が張ってヒーヒー言うことはなかった。常にローギアで走ったような感じだ。坂は上れるがスピードは出ない、みたいな。

とにかく、体重だなあと思った。練習の効率を良くすると、体重を落とすためだけの運動回数が減るのだ。走り込みはそういう要素もあると心得なくてはいかんのだな。

引換券を持って係の人のところへ行き、炊き出しのお吸い物とおにぎりをもらった。荷物のところへ戻りそれらを食べた。しみじみと美味しくて、なんだか、ほろりとさせられた。

係の人に「ごちそうさまでした」と挨拶をして、綱島駅に向かった。筋肉はもちろん疲労していたが、一昨年の松戸ほどではなかった。足はタフになっている。しかし速くなっていない。

綱島駅前の『王将』に入った。フルマラソンの後、近くに王将があったら、入らないわけにはいかない。

餃子二皿と中ジョッキを頼んだ。餃子を三つ食べる間にジョッキが空になったのでもう一杯頼んだ。餃子を食べるペースを少し早め、残り二つになったところでジョッキがまた空になったので、今度はハイボールを頼んだ。餃子をすべて食べてもハイボールは半分以上残っていた。それをゆっくり飲んだ。

店を出て、綱島駅から副都心線直通の電車に乗った。混んでいたが、日吉駅で人が沢山降りて席が空いた。座って、リュックから武田泰淳『ニセ札つかいの手記』を出して読んだ。しかし、内容が頭に入ってこなかったので本を閉じた。

自由が丘を過ぎたあたりで、急に、変な気分になった。息苦しいような、気持ち悪いような、けど、息苦しくも気持ち悪くもない気分だった。酔いが回った感じでもなかった。それでいて、通常の状態ではなかった。

(あれ? おかしいな、なんだろう、この変な感じは?)

疲れによるものだろうかと思い深呼吸をしたが、きちんと酸素を吸収できていないような気がした。

そのうち、段々と周囲の景色がうす暗くなってきた。
膝の上にリュックを置いていたのだが、隣の席が空いていたのでそこにリュックを置き、体を少しかがめ、頭を垂れるようにして目をつむった。意識ははっきりしていた。呼吸を意識的にやった。
途中、学芸大学駅で目を開けて、左の方を見た。斜め向かいに女性が座っていて本を読んでいたが、彼女とその周りすべての景色がピンク色のモノトーンになっていた。

なんだこれは? 幻覚のようだぞ?

また目をつむって頭を下げた。
この状況が続くと、気持ち悪くなって吐くかもしれないなあと思ったが、吐き気はやってこなかった。
そのうちに、あの、説明しがたい変な感じが遠ざかったので、体を起こし目を開けた。電車は祐天寺を通過しており、景色の色は普通に戻っていた。

新宿三丁目で乗り換える頃には、気分はすべて元に戻っていた。丸の内線に乗ると電車は空いていた。席に座り、いちおう目をつむった。そして、さっきのは一体なんだったのだろうと考えた。体が麻痺することはなく、吐き気や息苦しさもなく、ただ変な感じで、視界が暗くなってくる。これはどういう症状なのだろう。

3時半帰宅。シャワーを浴びてから小一時間ベッドに横になった。
起きて、買い物に行き、ビール、コーヒー、フルーツグラノーラを買った。

夜、コーエン兄弟『バスターのバラード』見終える。西部劇の短編が六本。歌の取り扱いの巧さ、コスチュームデザインの素晴らしさ、自然の撮り方に満足した。金鉱探しをする山師をトム・ウェイツがやっていた。そそっかしい娘を演じたゾーイ・カザンが可愛かった。エリア・カザンの孫娘らしい。

竹山情報局の生放送見る。ゲストに石橋貴明。とんねるずの初期について、貴さんのトークを堪能する。

10時前にいったん就寝するが、12時過ぎに起きてしまった。腹が減っていた。夕飯を食べてなかったなあと思い、サッポロ一番を作って食べ、また寝た。

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