肉の正義を振りかざす

8時半起き。
朝飯に、ご飯、ゴーヤのぬか漬け、なめこの味噌汁。

水耕栽培の養液を補充する。10リットルバケツ一杯分を補充している途中で容器から水が溢れた。つまり一日あたりの消費量はまだ10リットルに至ってないということだろう。

育った脇芽を一つ一つ見て、摘芯箇所を検討した。

午前中から昼過ぎにかけて、雨が降ったりやんだりしていた。
やんでいる時に園芸ばさみを使ってトマトの摘芯をした。先端部分はどの茎もつぼみの小さいのが生えかけていたが、それらを勿体ないからと放置するとすぐに大きくなり、またつぼみの小さいのが生えてくる。なので、最先端のつぼみはこれであると定めて、そこから上の葉っぱ二段より上を機械的にカットした。

1時半過ぎ、新宿へ。西武新宿ぺぺの島村楽器で楽器を見る。店内をうろちょろしていたら女性店員に声をかけられたので、カタログをもらったりアンケートを書いたリなどしてしばし談笑した。なぜか自分の話し方が、光進丸に乗って音楽や海について喋る加山雄三みたいな口調になっていた。「そうなんだよー、だからおれはその時、やめちゃったんだなあ」とか、「きみ、するどいねー」とか。

ぺぺを出ると雨はやんでいた。

ビックロへ行き、メッシュ地のスラックスがないか探した。ポリエステルのものがあり、試着してみると、軽さとサラサラ感が抜群だったので、黒とネイビーの二色を買った。

昼飯を食べようと思いながら三丁目界隈を歩いていると、『ステーキマックス』という店を見つけた。ステーキのつけ合わせが唐揚げという、肉の正義を振りかざす店だった。二、三人並んでいたので、並ぶまでもないかなあと思っていったん離れたが、明治通りまで来てからやはり食べてみようと引き返した。

がっつりステーキというのがお得らしく、サイズは、300、450、600、900グラムが選べた。300グラムは1000円ちょっとだった。リーズナブルだ。お昼時には並ぶだろう。900いく自信はあったが、そのくらいの量を食べるならむしろ高くないといけない。で、600グラムに決めた。ライスは頼まなかった。

肉は、でかいのが一枚どーんとくるのではなく、200グラムくらいのが鉄板に三枚のせられてきた。鉄板の下に火のついた固形燃料があった。レアで供して、客が好みの加減で火を消すという方式だった。

それほどいい肉ではなかったが、柔らかく調理されており、スムーズにナイフが入った。とにかく肉を沢山食べたいという欲求を満たすには十分だろう。先日ファミレスで食べたサーロインステーキよりよっぽど柔らかくてうまくて値段も安かった。

店を出ると3時半になっていた。ビックロ横から地下に入り丸の内線に乗る。そのあたりだとギリギリ新宿三丁目駅になった。

青梅街道沿いの手作りケーキの店で、モンブランと、賞をもらったとか書いてある自意識ケーキを買い、ドラッグストアでコーヒーを買った。

4時半過ぎ帰宅。

夕食は食べず、6時過ぎにコーヒーを飲みケーキを食べた。

WOWOWで録画した『かもめ』を見た。チェーホフ戯曲の映画化で、シアーシャ・ローナンがニーナを演じている。昨日見た『ストックホルム・ペンシルベニア』と同じく、これも日本未公開作品だった。

まず思ったのは、欧米人って『かもめ慣れ』してんなあということだった。内容、セリフ、劇的な場面はどこにあるかなど、一般常識レベルの共有事項になっているのだろう。
だから、マーシャがコンスタンチンへの思いを訴えるところや、アルカージナがコースチャの包帯を巻き直すところなどが、素通りできない場面になっており、情緒的にぐっときた。なるほど、ここはこういう風に演じられるべきなのかと得心がいった。

コンスタンチンの芝居は、いささか不安定な性格に作りすぎている気がした。ロシア青年の標準型なのだろうか。
トリゴーリンの立ち姿は、プレイボーイ感が出過ぎているように思えた。19世紀的ではなかった。

前半のニーナは素朴な田舎少女で、不満はあるけど不幸ではなく、頬をバラ色に染めて田園風景の中にたたずむさまは、ルノワールの絵画みたいだった。冒頭のコンスタンチン芝居での棒読み感は、のちの運命の伏線だろうか?
後半、時が経ち、コンスタンチンと再会する場面の痛々しさは胸に突き刺さるようだった。そして田舎少女時代に比べて、大人になり、美しくなっていた。それがまた悲しかった。
でも、この感想は映画ではなく、『かもめ』という戯曲そのものへの評価だと思う。映画化する必然性があったかどうかは疑問だ。

しかし、どうせおれなんかは舞台版の『かもめ』をしょっちゅう見ることができないアジア人なので、『かもめ』の調理法を具体的に示してくれただけでもありがたいと思った。そしてシアーシャ・ローナンは文芸ものが似合うという確信を新たにした。

12時過ぎ就寝。