明治の45年間を現在の時間に置き換えてみた

4時起き。さすがにその時間はまだ暗い。根室とかに行けば明るいのだろうか。

眠気覚ましに40分ほどブルグミュラーを練習し、愚ブログ駄文を更新し、書き作業をした。

トマトを収穫する。10個。トータル収穫数は60個になった。昨年の収穫数と並んだ。
水足しをする。それほど減っておらず、バケツに半分残っていた溶液を足すと容器が一杯になった。雨続きのせいか、下葉かきをして葉が減ったせいか。

6時半過ぎ、入浴して汗を流す。

朝飯に、ご飯、いくら、瓜のぬか漬け、トマトの味噌汁。瓜の漬物が食べたいと思ったのがきっかけで一昨年からぬか漬けを始めたのに、瓜が売られていることは滅多になく、糠童貞を捨てて以来、二回くらいしか買っていない。『童貞』のあと『買っていない』などと書くと廓を連想してしまう。しかもブツは瓜でそれをぬか床にだもの。何書いてるんだおれは。

電車で現場へ。

午前中、新ツール作り。

昼、雨がやんでいたので、自転車で『新華楼』へ。うまにそばと半チャーハン食べる。会計の時に店のおじさんが平身低頭という感じで「ありがとうございました」と言ってきたので恐縮してしまった。なあおっちゃん、あんたの方がおいらなんかよりも世の中の役に立ってるぜ。おれにとって人に飯を食わせる仕事は、神主とか僧侶とか神父とか牧師と同じカテゴリーに入っているから。

『宵待草夜情』読む。打擲を求める息子、義理の母、息子を慕うお手伝いさん。なんだか武田泰淳作品みたいだなあと思う。

午後、新ツール作業。とりあえずあらかたの部分はできた。でも完成じゃないので今年を『勝ち』にはできない。残念だ。かといって残りの5ヶ月半を負け犬として生きていくのはしんどい。どこかで再試合できればいいが。仕事に関してじゃなくてもいい。去年みたいにフルマラソンのサブ4実現とか。

夕方5時半、外は雨が降っていなかった。しかし雨雲レーダーを見ると、6時過ぎ頃には西からやってきた雨雲に都心が覆われる予報となっていた。
雨が降るまでぎりぎりのところまで移動し、そこから電車で帰ろうと思った。そうすれば明日、自転車を引き取りに来るのが楽になる。

高田馬場を目的地にして走りはじめた。しかし茗荷谷のあたりで雨が降り出した。出発時間が遅かった。こうなったら濡れて帰ろうと観念し、リュックにスマホを入れ、防水カバーをかけた。濡れると決めると、自分の中に住んでいるジーン・ケリーが歌いはじめた。

雨はそれほど強くならなかった。6時20分帰宅。風呂に入る。

『こころ』読了。一気に読んでしまった。
「先生と遺書」の章を読んでいると、漱石がノリまくって書いている姿が思い浮かんだ。『先生』は乃木大将の殉死に影響を受けて、自分の死も殉死であると考える。しかしそれは明治という時代に対する殉死だという。この感覚は、明治という船に乗り合わせた者にしかわからないだろう。乗り合わせた者にとっては説明不要ゆえに、同時代人と後世の読者との間に腑に落ちる加減の相違があり、当然後世の読者の方が累計的には増えていくので、なんとかつけてきた説明の蓄積を今後も続けなくてはならないのかもしれない。でも、説明をつければつけるほど先生の自殺は馬鹿げたことになっていくような気がする。自殺がいいとか悪いとかいうそもそも論は除く。

明治という時代を昭和末期から平成令和に置き換えてみると面白い。
明治45年を今年令和3年だとすると、明治元年は昭和52年。1977年に該当する。

1868年(明治元年)明治維新 五箇条のご誓文発布 江戸城開城
1977年(昭和52年)ピンク・レディー大ブレイク

1871年(明治4年)廃藩置県
1980年(昭和55年)マンザイブーム

1877年(明治10年)西南戦争
1986年(昭和61年)ビートたけしフライデー事件

1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布
1998年(平成10年)サッカーワールドカップ日本初出場

1894年(明治27年)日清戦争
2003年(平成15年)貴乃花引退 朝青龍横綱昇進

1904年(明治37年)日露戦争
2013年(平成25年)「あまちゃん」ヒット

1905年(明治38年)ポーツマス条約締結
2014年(平成26年)野々村議員号泣会見

1909年(明治42年)伊藤博文暗殺
2018年(平成30年)平昌冬季五輪で羽生結弦が連覇

1912年(明治45年)明治天皇崩御
2021年(令和3年)東京オリンピック開催?

薩長を中心とした官軍が旧幕府軍を制圧していた頃、江戸の町では「あんちく〜しょうに会ったら〜〜今度は〜ただじゃおかない〜〜」というピンク・レディーの物騒な歌が流れていた。
やがて世の中が落ち着き、古くからの「なになに藩」という呼び名は「なになに県」に代わり、B&Bやツービートは広島、岡山、山形県の比較ネタを漫才にした。
不平士族によって担ぎ上げられた西郷隆盛が鹿児島で乱を起こした頃、写真週刊誌の過剰な取材に堪忍袋の緒が切れたビートたけしは軍団共々講談社に殴り込みをかけた。
不平等条約改正のためにサッカー強豪国ドイツの憲法を参考にして大日本帝国憲法が発布され、同じ頃日本は初めてワールドカップへの出場を果たした。
眠れる獅子と言われた大国・清と戦争を起こした年、大相撲界では平成の大横綱と言われた貴乃花が引退し、朝青龍がモンゴル人として初の横綱に昇進した。日清戦争は軍事的に大陸を制する端緒となったが、相撲界ではこれ以降大陸勢の進出がめざましくなる。
やがて日本は宿命的に東進するロシアと開戦にいたり、国民は「じぇじぇじぇ」と驚いた。
日本は日本海海戦の勝利後、アメリカの仲介でポーツマス条約を締結する。しかし講和条件に賠償金の項目がなかったため、条約反対を叫ぶ国民は暴動を起こす。野々村議員は記者会見を開いた。
「皆さまのご指摘を県民の皆さまのご指摘と受け止めヒィッフウ!!」
維新の元勲伊藤博文が安重根によって暗殺された年、安重根の故郷海州市から東におよそ200数十キロの平昌では羽生結弦が金メダル連覇を果たした。

現在を基準とした絶対時間に明治の出来事を配置すると、つまりそういうことになる。

明治帝崩御の年に45年を振り返るというのは、どんな感じがしたものだろう? こんな言い方でいいのかわからんが、スタートはちょんまげだったのだ。
それが、勝ち負けはおいといて、ロシアと戦争する国になるまでの変化の大きさは、ピンク・レディーから野々村議員を経ての45年とは比べものにならないだろう。
おれたちにとっての45年間はインフラありきで、アップデートの繰り返しだったけど、明治は何から何までイチから作る45年だったのだ。