ステロタイプのずれ

5時半にタイマーをセットしていたが起きられなかった。ウイスキーのせいだ。

7時起き。朝飯にカレーライス食べる。

録画していた『しずかちゃんとパパ』3話を見た。
吉岡里帆はきれいだったが、シナリオと演出に飽きてきた。

町を再開発する業者をステロタイプで描いているのがウソっぽい。ウソっぽさの原因はステロタイプの選択を誤っているせいだろう。そんなステロタイプはないのに、これぞ「あるある」パターンでございと作っているので、妙なことになる。要はリアリティがないのだ。

ステロタイプにしない方が、作る側も見る側も虚構を楽しめるはずだが、それをするには世界観の構築レベルを一段階深いところから始めることになるため、つくり手としてはしんどいはずだ。このドラマは、ステロタイプにしようとしたがゆえに陥る罠にはまっているのだと思う。

業者に勤める杓子定規なリーマンを演じる俳優さんはスタイルが良くかっこいいが、演技がこれまたステロタイプだった。しかも、ステロタイプをやろうとして、そんなステロタイプはステロタイプじゃない、という罠に陥っていた。
リサイクルショップに勤めるアニキ役の役者さんも同様の罠にはまっていた。

同じステロタイプでも、戸田恵子さんや木村多江さんのは色合いが違っていた。世代と経験の差だと思った。

そうして見ていくと、吉岡里帆の演技はとても自然だった。お芝居が好きなんだろうなと思った。
鶴瓶さんは相変わらず老パンダみたいで可愛かった。
しかしこの二人、親子というよりは、おじいと孫くらいの年齢差ではないか?

途中まで見て、現場へ。

『もし幕末に広報がいたら』読む。
歴史の出来事をプレスリリースにするというコンセプトは興味深かったのだが、最初の数例を読んで飽きてしまった。真剣さ、真面目さよりも、「パロディでござい」と読者に対してぬるい空気の共有を迫る感じがあり、それがマイナスに作用していた。こういう本は、専門書以上に真剣に、論文なみの厳格さで作った方が面白いのではないか。明治14年の政変をミュージカルのプレスリリースにしたところで引いてしまった。

昼、『来々軒』でタンギョーを食べようと思って店の前に行ってみたが、今日と明日は休業日と書かれた紙が入り口に張られていた。
タンギョーとはタンメンと餃子のセットである。浦安のヤンキーが南行徳のことを「ナンギョー」と呼ぶのと同じ発音で「タンギョー」と言えば、第六学区の人間っぽくなれる。もともとおいらはそうだけど。あとナンギョーは千葉だけど。

代わりに『麺徳』という二郎系の店でラーメン野菜増しを食べた。

午後、ヒマ。
秀子はさいきんすっかり落ち着いてきた。もうオレの出る幕はない感じだ。

6時半帰宅。

日曜日に編んだ左袖を少しほどき、型紙を補正して編み直した。

作業をしながら中日ヤクルト戦をラジコで聞いた。1対2のまま試合は進み、満塁のチャンスもあったが、ドラゴンズはチャンスを生かせなかった。京田がブレーキになっていたが、立浪監督は少々のそういうことでは交代させないようだ。昨日石川が打ったホームランは使い続けた結果だし。

左袖の編み直しを終えた。丈を8段追加し、つんつるてんも解消した。本体の丈が短いので、着たらつんつるてん感は避けられまいが。

音楽を聞きながら右袖編みを開始する。こいつが終わればあとは接ぎ合わせてセーターが完成する。来週までに完成させたい。、それを着てシーバス釣りをしたい。

Youtubeで80年代洋楽を次々と聞いているうちに気持ちよくなり、夜ふかししてしまった。
“I can dream about you” でスイッチが入った。年々好きになっている。

この曲がヒットした当時、全米ヒットチャートはサントラ盤の大当たり年だった。この曲もダイアン・レイン主演『ストリート・オブ・ファイアー』のサントラだった。
ちなみにこのサントラのメインテーマに日本語詞がつけられた歌が、我々世代に印象深い大映テレビドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌となった。

あの頃、大映テレビのドラマ主題歌は、洋楽の邦訳路線が多かった。日本語のミュージカルは、こういう、立った曲を選曲するといいはずだよなあと思う。当時の大映テレビドラマのOPやEDを見ると、ミュービカルの場面としてはまっている。つまり過剰に演劇的であり、その過剰さが当時は笑われてもいたのだが。でも、当時笑われなかったトレンディドラマの方が今見ると笑えたりする。

3時就寝。