期待する技術

4時起き。春眠の呪いから解放されつつあるようだ。

ブログ更新、課題曲練習をし、久しぶりに書き作業もしようとするが、確認のみに終わる。

朝飯に、ご飯、かぶのぬか漬け、味噌汁。

7時半に家を出る。夏日になりそうだったので上着は着ず。
ちょうど三年前の今日は北海道をうろちょろしていた。その時も暖かかった。町にペットボトルや空き缶のゴミ箱がまったく置いていなかった。ヒグマ対策のためだろうかと思った。野良キタキツネを斜里で見かけた。煤けていて案外汚かった。

唐十郎『佐川君からの手紙』読み始める。

昨日、中日の根尾が登録を抹消された。立浪監督によると、再度ショートにコンバートして京田のライバルのような存在にするとのこと。外野のままでいると出番がないために勧めたら、本人もやりたいと答えたらしい。
先日大敗したヤクルト戦で代打に立った福留は、その後もベンチに下がらず、次の打席にも立っていた。これも、打席に立つ回数を増やすためだと、監督は説明していた。

立浪監督は、期待する『技術』が高いと思う。
「誰それには期待している」という発言は、監督コーチ評論家だけではなぐ、ファンの口からもされるし、しょっちゅう耳にする。しかし、期待とは、する側が言葉で言うだけでは成り立たないのではないか。期待される側が期待されていると理解し受け入れることで成立する、コミュニケーションなのではないか。ひねくれた考え方をすれば、される側が(口だけじゃなんとでも言えるよな)と思った場合、その期待関係は成立しない。

立浪監督による、根尾や福留に対する処置や、先日の京田に関する発言をニュースで読むと、「期待している」という言葉を使うことはそれほど多くない。代わりに、その言葉の裏付けとなる行動をとり続けているようだ。

京田への発言も弁護ではなく、チームにとって彼がどういう存在であるのかを明らかにし、その上で評価できるポイントを具体的に挙げている。人情話ではない。京田は、弁護されたというよりも、正当に採点評価されつつあるという感覚を覚えたことだろう。その感覚がやる気と直結し、噴出したであろうアドレナリン量の結果もたらされたのが、神宮での2ホームランだったのだ。

根尾の登録抹消にしても、期待にこたえなかったからという懲罰的ニュアンスを感じない。今年の中日は一軍と二軍の往来が盛んで、二軍はファームという言葉通りの存在感を示している。こうなると片岡が側近ではなく二軍監督である意義がよくわかる。「責任は俺がとる」から、考えた通りにやってくれと言われたコーチ陣も、熱心に仕事をしている。今年の中日はホワイト企業だ。

それでも先月末、DeNAに三連敗した時の監督は辛そうだった。目に隈ができていた。しかし、最近ではイヤな負け方をした日の受け答えも超然と落ち着いてきつつある。

根尾は一昨日の試合で初ヒットを打ったが、その少し前から、すぐに打つだろうなと言う予感は漂わせていた。ボールをよく見た結果の四球をしっかり選んでいた。あとは思い切り振るだけのリーチ状態だったのだろう。

立浪監督が選手に期待する方法は、言葉をかけ信じて待つというコースをたどらない。観察、分析、お膳立てがあり、コミュニケーションがある。そのすべてが淡々としている。それは、選手に落ち着きも与えるだろう。
これらを総合して技術と呼べば、立浪監督の期待技術力はとても高いということができる。マスコミを利用して本人の耳に届かせるという迂回ルートも、おそらくとっていないだろう。

午前中、データ入力作業する。

昼、『ヒラソル』でハンバーグセット食べる。店に入るとBGMに “Tomorrow never knows” が流れていた。食べ終わる頃、”Drive my car” が流れはじめた。リボルバーからラバーソウルに替えたのだ。星を一つ追加した。

父の一周忌帰りに食事をする店を予約した。

店の検索をしていたら、『しれとこ』という文字が目に飛び込んできた。江戸川区新堀にある店で、6歳の時に行ったことがある。なぜか、区を流れる運河である新川沿いにあると、その時にすり込まれてしまい、その後成長し、自転車で新川沿いを通るようになってから、一度もその店を見かけなかったので、なくなったのだとずーっと思っていた。
しかし、新川ではなく、新中川沿いにあったのだ。これは絶対行かねば、と思った。

夕方、帰宅後、近所のトラックでランニング。

ラジコで巨人中日戦を聞きながら走った。

巨人が、一三塁の場面からダブルスチールを試み、キャッチャーが二塁にボールを投げた隙に三塁の丸がホームスチールを決めた。思わず、お見事! と思ってしまった。

こういうところは、さすが原監督だなあと思った。星野、岡田、落合監督と戦ってきた人なのだ。監督としての経験値は12球団で一番豊富な人なのだ。

でも、時代は変わる。経験が豊富ということは、同時に、老いに近いことも意味する。原さんの強みは、弱味にもなり得る。

11時就寝。