帽子なしで失速

5時前に起きた。カーテン越しに外が明るくなっていた。
巻き寿司と大福餅を食べた。

ユニフォームに着替え、5時半にチェックアウトする。

マラソン参加者の駐車場にナビをセットし、早朝なので一般道ルートで黒部市に向かった。一昨日能登に旅行した時の道を逆に走った。

6時50分頃に駐車場に到着。車はまだほとんど止まっていなかった。

駐車場からスタート地点まで歩いて行くものだと思いこんでいたが、歩いているランナーにのこのこ着いていくとシャトルバス乗り場に着いたので、バスで会場まで移動した。

ランナー用のゲートをくぐる時、抗体検査キットの提出が必要だった。昨日、家で検査をしたが、あれは会場に持ってきて検査をするためのものだったようだ。
焦ったが、入り口で検査キットを配布していたのでそれをもらい、その場で検査することができた。

検温アプリの画面と検査キットの結果を係員に見せ、会場に入った。

体育館の客席が待機スペース兼荷物置き場になっていた。袋井メロンマラソンの待機スペースみたいだと思った。

フォームローラーを持って二階外の通路となっているスペースに出た。そこで両足の筋膜リリースを時間をかけて行った。アキレス腱とヒラメ筋のストレッチもした。

8時40分頃にスターとゲートに向かった。途中、段差を見つけたので、つま先を乗せてヒラメ筋を意識したストレッチをした。体が軽く感じられていたので、走る時オーバーペースになって肉離れになるのが心配だった。

ゲストに高橋尚子が来ていた。2010年の淀川市民マラソンを思い出す。あの時もゲストに来ていた。グロスタイムでのサブ4を初めて達成した大会だった。幸先が良さそうだと思った。

9時に号砲が鳴った。直後、花火が打ち上げられた。空は青かった。走り始めると体は軽やかで、風も心地よく、大変気持ちよかった。Qちゃんの「楽しんで!」の声を聞きながらスタートゲートをくぐった。

序盤のペースは慎重にコントロールした。無理に上げようとはせず、呼吸をしっかりと意識した。苦しくなるレベルにはならないようにしたが、呼吸をしっかりするだけで自動的にペースが上がった。

10キロ地点までそのような感じで走った。タイムはまったく気にせず走ったが、10キロ時点で52分だった。2010年の淀川マラソンと同じペースだった。

その後、上り坂があったりしたが、アップダウンはそれほどキツくなかった。24キロ地点ほどまでは上り坂ではあったが、長い距離をかけてゆっくり上がって行く感じだろうと思った。

給水ポイントは2キロごとにあったが、10キロ地点が近くなる頃からは2回に1回取るようにした。

14キロ地点あたりから給水の水を頭にかけるようにした。気温が書かれたホワイトボードが置かれており、25度と書かれていた。

16キロ地点を過ぎたあたりで異変が起きた。筋肉の張りは感じていないのにスピードが出なくなっていた。落ち着いて呼吸に意識を向けた。17キロ地点までなんとか走っている状態を保っていたが、18キロを過ぎた頃から急激にスピードが落ちた。走れない、ではなく、スピードが出せない、という感じだった。とうとう、歩いているのに近い速度になった。

(これは熱中症だ)

と思った。

快調に走っていた時、救護所を通り過ぎた記憶があったが、ここから先にもあるだろうかと考えた。ない場合、歩きに近いペースで残りの距離をゆっくり走るしかない。そう覚悟するほど、明らかに走るという動作そのものができなくなっていた。

ハーフの距離を過ぎ、22キロ地点を過ぎると、折り返し点から戻ってくるランナーとすれ違った。その先23キロ地点がコースの折り返し地点だった。給水ポイントがあり、その先に救護テントがあった。助かった、と思った。

テントに入り、「熱中症のようです」と告げた。ブルーシートに横になり、首を冷やしてもらった。血圧と酸素濃度を測ってもらうと、それぞれ低下しているようだった。しかし、呼吸が落ち着くにつれて正常値に戻っていった。
意識ははっきりしていた。5分ほどそうやって休むと、現金なことにまた走れそうな気がしてきたが、救護スタッフからは、点滴を打っておきましょうと言われた。

車でスタート地点まで送ってもらい、救護本部で診察を受けた。血圧、心拍数、酸素濃度はかなり回復していたが、念のためにということで半量の点滴を打ってもらった。点滴を打ってもらうのは小児喘息で通院していた11歳の時以来だ。

リタイアして小一時間くらい経つとすっかり元気になっていた。「早めに判断してくれてよかったですよ」とドクターは言った。

医療スタッフの皆さんに礼をし、テントを出た。時刻は1時前だった。もしサブ4を達成していたらゴールしている頃合いだった。

体育館から荷物を持ってきて、参加者用の鱒寿司とかに汁の配布テントに並んだ。かに汁はかにの足が派手にお椀からはみ出していた。

植え込みの段差に座って鱒寿司を食べかに汁を飲んだ。隣にカップルランナーが座っていた。女の子が、この後は何々してから何々しようかと彼氏に聞き、彼氏はただ「うん」「うん」とだけ答えていた。彼氏の朴訥で寡黙な感じが好ましかった。女の子も彼のそういうところが好きなんだろうなあと思った。

会場を出てシャトルバスで駐車場へ移動し、車のドアをすべて開けて熱気を追い出した。日差しは午前中よりさらに強くなっていた。あのまま走っていたらより重篤な熱中症になっていたかもしれない。フルマラソンのリタイアはこれが5回目だった。いい気分とはいえないが、以前リタイアした時に比べると、仕方ないという気持ちだった。

帽子なしで参加した時点で負けは確定していた。

着替えて荷物を整理し、会場を出た。ナビは空港前のレンタカー返却スペースにセットした。どこかで温泉にでも入って行くという選択肢もあったが、シャトルバスから車のところへ歩いている時、思っていた以上に体がダメージを受けているのがわかったので、無理をせず早めに車を返した方がいいと判断した。

運転しながら、中日広島戦をラジコで聞いた。中日先発の柳は絶好調で、広島打線をヒット1本に抑えていた。

3時過ぎ、予定より早めに車を返却した。

お昼時を過ぎ、空港のレストランはどこも閉まっていた。喫茶店だけがあいていた。そこに入り、白海老かき揚げバーガーとジャーマンドックを食べ、富山サイダーを飲んだ。

土産ものを買い、荷物受付カウンターの前で中日広島戦の続きをニュース速報で見た。なんと広島がホームランで1点を入れていた。中日はその後も得点を入れられず、結局そのまま敗北した。

4時半に荷物を預け、保安検査を受け、出発ロビーで缶ビールとハイボールを飲みながら、高津臣吾『二軍監督の仕事』を読んだ。

6時半の便で羽田へ。

モノレールとJRで新橋へ。地下鉄に乗り換える前に、新橋の『ほりうち』で半チャーシュー麺の大盛りを食べた。新宿『満来』系列の店だった。

地下鉄に乗っている間に『二軍監督の仕事』読了。
内容はタイトル通りだったが、高津さんの属する世代全体と、その世代の人々が今どういう立場にいてどんな成果をもたらしているかについて、考えさせられる内容だった。
1990年には誰にも批判されなかった発言や行動が、2020年代の基準ではアウトになるということが、最近よくある。具体的に何がどうというルールが決められているのではない。目に見えない同意の繰り返しと、その同意の存在を暗黙の了解として認め、そのすべてが社会全体において無意識に行われた結果の、アウトとなっている。
そうした変化に、常に対応し続けてきたのが、高津さんたちの世代ではないか。それより上の世代の人々は、時代が変わったことを諦めムードで受け入れ、ノスタルジーに浸ったまま流されたりする。また、下の世代になると、たとえばイチロー松井から松坂世代などは、変化の大きさに対して自然体でついていっているように見える。変化とみなすほど、違いを大きなものと感じていないのかもしれない。

9時40分帰宅。
入浴し、ドラッグストアでビールと氷結サワーを買ってきて飲んだ。

今回のマラソンの反省をする。

ランニングキャップをかぶらずに走ったことが今回の敗因であるのは間違いない。今朝会場に着くまで、ランニングキャップを用意しようとはまったく思わなかった。これは慣習によるものである。かぶらない状態を当たり前として、これまで走ってきたため、必要であると思うことができなかった。

ランニングキャップの必要性を感じることがなかった理由は、トレーニングで走る時間帯が日没後であることが多かったためである。また、祝日の昼間に走る時も日差しが強い日に10キロ以上走ることはなかったため、熱中症に近い症状を感じる前にランニングを終えていた。

一度だけ、真夏の昼間に走って熱中症になったことがある。2010年の8月15日だ。走っている途中で、あれ? 体が動かないぞ? という感覚に陥った。筋肉疲労はないのに、動くと心肺に強烈な負荷がかかっていく感じだった。だが、この日の天気は曇りで、走っていた地域の気温は38度まで上がっていたため、熱中症を日差しではなく気温の問題ととらえ、帽子の有無と結びつけなかったのである。

今日の場合も15キロ地点まではいいペースで走っていた。ランニングウォッチに記録したラップタイムを見ると、スタートから5キロ地点までは5分20秒を切り、10キロまでは5分10秒を切っていた。10キロから先はキロ5分20秒台に落ち着いていたが、17、18キロから遅くなり、20キロでキロ8分台と急激に落ち込んだ。そのあたりで体の状態がやばいと思った。その後、21キロが8分台、22キロが8分50秒台23キロが7分50秒台だった。

2019年11月に松戸で走った時も似たような落ち方をした。今日と同じ快晴で、8周走るコースの6周目に入った時にペースが急激に落ちた。スピードが出せなくなった感じは今日とそっくりだった。給水ポイントで係の人に「今日は暑いですか?」と聞かれたのを覚えている。

大きめのマラソン大会は今年の秋ごろから徐々に復活するだろう。その前に夏がある。今年の夏はランニングキャップをかぶって、なるべく昼間にトレーニングをして、キャップの感じを確かめてみようと思う。