喉の痛みは治まったが、鼻水が出るようになった。典型的な風邪の症状だった。
朝、にしんそばもどき温麺。昼、カップうどんと惣菜バーガーとミニ肉まん。夜、牡蠣フライを作って食べた。
ほぼほぼ、一日中家にいて、「潮騒」の稽古をし、編み作業をし、Youtube を見ていた。
外に出るのは買い物の時だけだった。自転車は使わず、サミットまで歩いた。散歩する時、いつもしているのは、瞑想である。迷走ではない。散歩で迷走はやばい。
やり方は簡単。まず、視点を前方に固定したあと、視野を広げる。一点を見るのではなく、視界に入るものすべてに意識を向ける。要は、ぽんやり全体を見るようにする。
その状態で歩くのに慣れたら、音に意識を向ける。できれば、一つ一つの音をより分けず、聞こえている音すべてに意識を向ける。目でやっていたことを耳でもやる感じだ。
次に、ゆとりがあれば、触覚に意識を向ける。空気が顔に触れる感じ、衣服のすれる感じ、足が地面を踏みしめる感じ。それら全体を、同じように意識する。
五感の意識化は大体このくらいが限度だが、それをしながら散歩すると、集中力が研ぎ澄まされてくるし、気分も落ち着いてくる。たぶん、視野を広げて歩くだけでも、十分効果的だろう。
昔、ヴィパッサナー瞑想の本を読み、色々試したことがあったのだが、当時抱えていた悩みや苦しみは解決しなかった。『今』に集中すると、今の自分イコール悩んでいる自分だったため、悩みに集中することになってしまった。ため息にたとえると「はあ…」程度だったのが、「はあああああっっっ…!」となり、苦しみもより深いものになってしまった。やり方を間違えていたのだ。たぶん。
視野を広げるのは、速読関連のトレーニング方法にもにあり、なじみ深かった。また、休憩時間や電車に乗っている時に読む本がないと、視野を広げてボーッとすることは、よくやっていた。ただ、それが瞑想と結びついていなかった。
結びついたのは、ランニングをしている時だった。走っている時、視線は数メートル先の地面におくことが多かったのだが、ある時、その視線を上に向けてみたところ、視野に入ってくる情報量の多さに混乱した。細部を見る方法で全体を細かく見ようとしていたからだった。走っている時にそんなことをするのは無理なので、すぐに、意識がそれをするのをやめた。
すると自動的に視野が広がった。
視野が広がったまま走ると、とても気分が良かった。
で、走る時だけではなく、散歩の時にもやってみた。走る時よりも五感に余裕があったため、目だけではなく耳も使ってみた。そのようにして色々試すうちに、ふと、
「これって、ヴィパッサナー瞑想じゃね?」
と思うようになった。
以来、散歩をすることは、自分にとって、瞑想と同じことになった。
きっとそのうち、脳はアルファ波が出まくるようになり、チャクラは開きっぱなしになり、指をさしたところに雷が落ちるようになるだろう。いずれ、『バビル2世』のヨミみたいな超能力者になるのではないかと期待している。そうなったらもちろん、世界を征服させてもらうつもりだ。
Youtube でスーツ君の動画を見ながら編み作業をした。去年は打首獄門同好会の動画を見ながら同じことをした。打首の動画も、旅行系といえば旅行系だった。旅行系動画と編み作業は相性が良い。釣り動画だと瞬間を見逃せないため、編み作業しつつだとあまり楽しめない。
2時就寝。