かつての現場エピソード

7時起き。朝飯にフルーツグラノーラとミルク。

9時まで二度寝。9時半から作業。午前中、トゲトゲさんツールの修正。

昼、『宴遇』で、豚角煮定食。

午後、ミーティング。トゲトゲさんツールの進み具合を報告する。

その後、どさん子ツールのエラー対応と、音羽屋さん依頼の改修。

夜、ご飯、納豆、味噌汁で夕食。煮干しで出汁を取って味噌汁を作った。しかし、使った味噌は昨年秋におろしたやつで、まだ全然減っていない。昨年2月に仕込んだ味噌をそろそろおろさないといけないのに、食い切れない。

『10獄放送局』見る。北海道ツアーの4回目。チダさんはすっかり胃腸を壊したのに、会長は毎朝、土地の旨いものを食べにいくのが、とても面白かった。

仕事関連の担当氏からメールがきた。昨年10月に入ってきた同僚氏がやめるという。もう一人のベテラン同僚氏も契約期間終了でやめることになっている。

あらヤダ、春からもしかして、アタシ一人?

前にもこういうことがあった。コロナ初年の2020年だった。

あの時は、2月から4月まで三ヶ月くらいオレ一人で業務をこなした。その後、新人二人が入ってきたのだが、当然まだ業務はできないので、仕事を教えつつ、コールセンターの受電業務をやり、その合間にプログラミングをしていた。普通、プログラミングと受電業務の兼務って、ないんじゃないか?

でも、受電はけっこう楽しかった。東北のクライアントさんなど、電話で仲良くなったくらいだ。

そしたら、驚くことに、繁忙期の6月を終えた直後、契約を打ち切られた。延長なしということ。

えーっ? 新人二人残して? 遅刻も休みもない、チーム最古参のこのワシを?

どうも、4月から新しくチームのリーダーになったEDという男が、コストカットのために、一番ギャラの高いオレを切ったっぽいのだ。いやいや、でも、3人必要な部署で、実質オレ一人で切り盛りしてる状態だったじゃん。あんた、一番忙しい時期、会議にかこつけて自分の席に全然いなかったじゃん。で、繁忙期が終わったタイミングで、オレを切るの?

さすがにはらわたが煮えくり返ったが、まあ仕方ない。向こう都合だから失業手当も出るし、有休もひと月分出る。こうなったらひと夏遊び呆けてやろうと思い、そうしたのだった。

現在の状況も、なんか、似てないか? それがちょっと不安だ。現場が変わることは何でもないが、この状況でワシが去ったら、マジで、体制が崩壊するぞ? アルフィーから、高見沢さんと坂崎さんと桜井さんが脱退するようなものだぞ?

2020年にオレを切った現場は、テナントを撤収してしまった。会社のサイトはなくなった。企業情報が登録されているサイトを見ると、従業員数が5人以下になっていた。オレがいた時は50人くらいいた。

でもなあ、EDみたいな奴が、システム系問い合わせを受け付けるチームのリーダーやっていたんだから、そら、そうなるよなあ。システムを運用しているのはうちで、利用している顧客から電話があったら、最優先で対応しないといかんのに、「折り返し電話します」の一点張りで、あれじゃ、顧客がキレるだろう。その顧客でもっている会社たったというのに。彼はなんだったんだろう? RPAはすべてを救うみたいな信仰があったらしいが、ならば今の現状は?

ただ、あの会社には、人を見る目がないという特徴があった。オレがいた時も、よそからヘンテコな男をコンサルタント扱いで呼び、ツール改修会議に出席させていた。一年でその人は来なくなった。

しかし、当時は腹が立った諸々の出来事が、なぜか、面白おかしく思い出せてくる。今だったら、けっこうそれらの人々を、面白く観察出来るような気がする。