堕客化した自分

昨夜は疲れていたはずなのに寝つきが悪く、4時近くまで起きていた。

9時起き。朝飯に、スパゲティを茹で、カルボナーラのソースをかけて食べた。

午前中、どさん子ツールのコード整理作業をする。

昼、豚肉のガーリックソテー、ご飯、オクラのぬか漬け、味噌汁、朝作った残りのスパゲティを食べた。

午後、新しい仕事依頼はなく、淡々とコード整理をした。

6時過ぎ、作業を終えてから自転車で下北沢へ。

6時半過ぎ、スズナリへ。7時、下北澤姉妹社『リンカク』見る。

序盤は、人間関係をとらえることができず、物語が頭に入ってこなかった。しかし、ある場面で、母親の違う妹をいじめる兄のエピソードがあり、そこから一気にパズルのピースがはまり、わかりやすくなった。

ラスト、「感情を教わった」というセリフと、その後の慟哭が、胸に突き刺さった。

終演後、家に帰りながら、序盤のわかりにくさはなぜだったのかを考えた。

説明が足りなかったわけではないのだが、登場人物を説明することを目的にしたような場面がなかった。それゆえに、(この人は誰なんだろう?)と思いながら見続ける時間が長かった。義理の妹をいじめる兄という場面で、初めて、ドラマによって兄と妹の関係が把握でき、それ以前のわからなかった場面も色々と腑に落ちていった。

しかし、これは脚本のせいではなく、観劇している自分のせいだとも思った。「さあ、舞台設定やら何やかやを、最初の15分で面白おかしく説明してくれよ!」みたいな、傲慢な期待の仕方をしていた。別段、説明がなかったわけではない。後から思い出すと、むしろ、とてもきちんとした本だった。『傲慢』と書いておかないと、舞台は演者と観客の両方で作るものだと信じることができなくなる。

むしろ、序盤の淡々とした展開は、面白おかしくして客をつかむということよりも、物語を真剣に語ることに注力した、作者演出家の証しだったのではないか。そして、今どきそうした了見の舞台を見ることが少なくなっていたため、自分の頭も堕客化していたのではないか。

9時半帰宅。

中日横浜戦の結果を見る。中日は初回に1点先制するも、その裏に2点を取られ、試合はそのまま最終回までいき、中日は3連敗を喫した。やはり、阪神戦の2戦目で勝っておくべきだったと思う。