昨夜は1時半まで起きていた。昔なら珍しくもない時間だが、令和の自分にとっては夜ふかしタイムとなってしまった。
今朝は、起きたくなさがつのり、作業時間直前までベッドに寝転がっていた。
夢を沢山見た。三回くらい一緒に芝居をして、その後ほとんど会っていない後輩の女の子が出てきた。親友も出てきた。親友は、家族が癌になったとオレに言ってきた。とても落ち込んでいた。すごく心配になった。起きて、夢だったと分かって、ホッとした。
9時半から作業。午前中はトゲトゲさんツールの作業を片付けた。
昼、残った焼きそばと、冷凍お好み焼きを一緒にして食べた。
午後、どさん子ツールで不具合が発生した。調べたら原因がすぐにわかったので、修正して再送した。最近、構造を整理したので、以前よりもトラブルシューティングが早くできている。中身もだいぶ理解してきた。
修正したついでに、スパゲッティコードになっている部分を整理した。必須入力確認をしている関数を呼び出しているのに、その後、別の必須入力確認をしているのを、すべて関数にまとめたりなど。
夕方、同僚のブルさんからDMが届いた。Sharepointについて知りたくないですか? という内容だった。有効活用しましょう、という提案なのだろうと思ったが、返事は保留した。
6時、作業を切り上げ、夕食に沖縄そばのインスタント麺を食べた。
6時半過ぎ、走りに行く。風が強かったので長袖ジャージを着たが、正解だった。着ていなかったら強風のため、途中で体を冷やしていただろう。
30キロコースを色々考え、荻窪から二子玉に下り、環七を北上するコースに決めた。2015年の袋井メロンマラソン直前に走ったコースだ。
30キロはそう何度も走っているわけではないが、験担ぎという意味で、このコースはいいコースだ。なぜなら、この時のレースで4時間を切ることができたからだ。
他に30キロ走ったコースは、今住んでいる部屋を起点にすると、こういうのがある。
・東久留米のスパジアムジャポンまで往復
・家から実家まで若洲寄り道コース
・西高島平の先の荒川にかかった橋まで往復
・小田急線のよみうりランド前あたり
・荒川遊園
・実家から荒川沿いを西新井橋
しかし、レース前に走っていい結果が出たコースは一つもない。
今日のコースは、正確には30キロに満たない。前回走った時は、いったん阿佐ヶ谷の西友に寄ってクレジットカードの月額払いをし、そのあと、世田谷通りで道を間違えて戻るということをしたため、トータル走行距離が長くなり、30キロちょっとになったのだ。
まずは青梅街道に出た。街道沿いを荻窪まで走り、環八を渡り、八丁の交差点で南に曲がった。風は強かったが、青梅街道は道沿いにビルが並んでいるため、それが南からの風をうまくガードしてくれた。
八丁から中央線ガードまで走り、ガードを抜けてすぐ右に曲がって線路沿いを走り、左に折れ、道を横断し、住宅地を神明通りに向かって南下する。線路から神明通りまでの道は、線路あたりにあったスーパーから、10年以上前に住んでいた部屋までの買い物ルートだが、今日走って、けっこう距離があったことに驚いた。1キロ弱はあったかもしれない。
そのスーパーには、さとうさんという店員がいた。動きが機敏でレジ打ちも速く、その人がレジをやっている時に行列ができたことがなかった。たぶん、さとうさんを見たことがきっかけになって、その後、色々なスーパーで店員ウォッチングをすることが習慣となった。最近、自分の中でナンバー1の店員さんは、五日市街道沿いの某スーパーにいる、K谷さんだ。駅員みたいな喋り方をするのだが、レジ打ちが稲妻のように速く、トラブル対応能力も高い。
神明通りから住宅地を南下して五日市街道を横断し、また住宅地を南下して井の頭通りを横断し、久我山駅へ。踏切を渡って玉川上水方面に南下し、東八道路を横断。さらに南下して甲州街道へ。
そのあたりで、走るペースは落ち着いてきたが、LSDを意識し、速くなりすぎないようにセーブした。
甲州街道を渡り、さらに南に進んで旧甲州を右折し、千歳烏山駅の踏切を渡り、道沿いにさらに南下する。少しゆくと下り坂になっていて、下ると、蘆花公園駅から南に延びた道と合流する。その道を進むと、祖師ヶ谷のウルトラマン商店街入口が見えてくる。現在でもランニングなどで時々訪れることがあるエリアだ。
走行距離は10キロを超えていた。
ウルトラマン商店街を南に走り、祖師ヶ谷大蔵駅を抜け、さらに走ると、ふたたび道は下り坂になり、世田谷通りと合流する。前回はサミットがある合流地点で成城学園前からの道を世田谷通りだと勘違いし、その道を500メートルほど走ってしまったのだ。雨が降っており視界が悪かったということもある。
世田谷通りを右折し、少し進んで多摩堤通りに入り、二子玉に向かった。一本道だ。昔、イルカ団の稽古のために通った道を走った。宇奈根や鎌田の稽古場だった。当時はバイクで稽古場に通っていた。
二子玉の、246の橋に突き当たってから、246沿いに左に曲がった。環八の交差点にあるセブンイレブンで、モンスターエナジーを買って飲んだ。買ってから、0カロリーのものだと気がついた。糖分たっぷりの方が有り難かったのだが、水分補給だと割り切って飲んだ。
そこまでずっと、昔録音した吉田拓郎のオールナイトニッポンを聞いていたのだが、モンエナを飲みながら、ラジコの阪神中日戦に切り替えた。根尾が投げていたので、これは負けていると思った。根尾は本塁打を打たれたらしいが、その後のイニングは無事に抑えたようだ。試合は阪神が9-2とリードしていた。
246を環七まで走る。9回裏に中日は2点を返したが、反撃はそこまでだった。打ったヒットは阪神よりも多かったのに、負けてしまった。
駒澤大学駅あたりでラジコを消し、音楽に切り替えた。ピンクフロイドの THE WALL にした。
環七を北上し、甲州街道を横断してから脇道に入り、神田川の手前で川の南岸に沿った道を走り、途中で右に曲がって川を渡り、方南通りに出ると、家まではもうすぐだった。和田堀公園を通り抜け、近所の坂道を登ったところで走行距離が28キロちょっとになったので、そこでランニングを終えた。
ドラッグストアで、回復系アミノ酸のゼリーと、タンパク質摂取用のバーを買った。走り終わってからドラッグストアへ歩くまでは平気だったのに、買い物をしてから家に帰るまで、なぜかふくらはぎがパンパンに張って辛かった。家の前でアキレス腱を伸ばし、家に入ってから少しの間椅子に座って疲労感をやり過ごした。
ゼリー飲料とタンパク質バーを食べ、シャワーを浴びた。
ここ数日、ずっと気分がのらない感じだったが、走ったことで気分が晴れていた。スッキリしたというよりも、停滞させていた人格がどこかに行ってしまったという感覚だった。
つまり、走り始めた時の自分は、「つまんねえ、やる気がしねえ」と、ぼやいている自分だった。しかし、そんなボヤッキーを客観視している自分もおり、そいつが日記を書いたり、気分がのらないことを憂えたりしていたのだ。
走った意志は憂えた自分のものであったが、肉体を乗っ取っていたのはボヤッキーだった。5キロ地点くらいまで、ボヤッキーは「しんどい、苦しい、辛い」とか言っていたのだけど、そのうち、このまま肉体を占有し続けることはしんどすぎて無理だとわかったのか、10キロ地点に至る前くらいに、どこかへ消えてしまった。たぶん久我山のあたりだ。
その後、走るのが楽になったわけではないが、走り終えてからここ数日のことを思い返すと、憂鬱の種と思われたことが、全然大したことないことのように感じられた。
マラソン前にマラソン鬱から抜け出せたのはいいことである。ただ、今日は夜に走ったのでまっとうに28キロ走れたが、これが気温25度を超す昼間だったら、おそらく20キロよりずっと前の地点で、バテの症状が出ているだろう。こればかりは仕方ない。
とにかく今回は完走できればいい。御の字だ。幸い、奥州マラソンのスタート時刻は8時30分なので、気温が低いうちから走ることができる。本格的に暑くなるのは10時過ぎくらいからだとして、その時点で15キロくらい距離を稼げていれば、バテ地獄を先送りできる。
はず。
だといいな。