7時起き。
朝飯にかき揚げうどん。
「甘納豆」「マロングラッセ」「あこや貝」それぞれ練習してから稽古場へ。「マロングラッセ」は、80パーセントまであと少し。「あこや貝」は60パーセント。「甘納豆」はまだ譜読み60パーセント。それでも、そろそろ次の課題を考えないといけないところまではきた。
9時半から作業。ヨネトシさんのフォローをする。CSVを取り込む時にエラーが発生しているらしかった。自分の環境で実行してみたが、普通に取り込めてしまい、エラー再現ができなかったので、エラーメッセージのスクリーンショットから原因を推察をしてメッセージを送った。すぐ、デバッグ用に追加したコードを削除すると無事に実行できたという返事がきた。お役目終了。
昼、肉じゃがを食べようと思い鍋を温めたが、蓋をあけると表面にカビが生えていた。ショックだった。結構たくさん作ったのに、昨日の朝ちょっとだけしか食べていなかった。昨日の夕方、遅い昼飯としてうどんを食べた時、肉じゃがも少し食べようか迷い、結局やめてしまった。夜も、お好み焼きなどを買ってしまったので鍋を温めなかった。要するに、昨日の朝から今日の昼まで30時間常温でほったらかしにしていたのがいけなかった。なぜ冷蔵庫にしまわなかったのだろう。
汁を捨て、固形部分を生ゴミ処理用の植木鉢に埋め、土を被せた。植木鉢は土が半分ほどしかなかったのに、ゴミを埋めたら土が縁いっぱいまで上がってきた。
結局、昼飯はご飯とネギ納豆のみになった。
夕方、6時に家を出る。副都心線経由で池袋。有楽町線で東池袋へ。乗り換え距離が長く、これなら副都心線の雑司ヶ谷で降りた方が良かったと思った。
7時、なべさん客演の舞台観劇。5年前に出た芝居と同じ作・演出の舞台とのこと。その作品は面白かったと記憶しているが、今回の設定はその時と似ているのだという。
始まってすぐ、似ていると思った。というより、似すぎていた。
前回の作品は、とある家族が大雨のため他人のペンションに避難させてもらうのだが、持ち主家族は金持ちで、二つの家族がひと晩生活を共にすることで、格差からくる対立がさり気なく浮き彫りになるというものだった。その年の暮れに公開された映画『パラサイト』を思わせる内容で、非常に面白かった。
今回は、大雨で家族が金持ちの家に避難するという設定がまったく同じで、ほかの登場人物が周囲にちらちら出てくるというところが違っていた。演者の経験もまちまちで、初舞台の役者もいるようだった。
作品としては前作の方が面白かった。今作は、二つの家族以外の登場人物が、とってとけたような存在理由によって、場所のリアリティを損なっていた。
しかし、それらの出演者がいなかった場合、どうなるか。
真っ先に考えたのは、予算のことだった。
出演者は13人だったが、ダブルキャストだったので、総出演者数は26人。キャパはそれほど大きくない小屋で、満席で80席くらいだったと思う。
チケット代が4500円。本日初日で、日曜日までトータル8ステージ。キャパ80とすると、完売で4500円×80席×8ステ=28800000円。ここから劇場費、スタッフへのギャラと実費、稽古場代などを引くと、ぜんぜん儲けにはならなくても、赤字は防げるだろう。キャパ80席8ステージをキャスト人数のノルマに換算すると、一人あたり24枚だから、さほどノルマがきついわけでもない。
家族以外のキャストで、役者の力量とは関係なく、なくてもいいと個人的に思った役は4人だった。それを台本からカットすると出演者は9人になる、ダブルキャストで18人。
キャパ80席の8ステを、出演者数18人でノルマ換算すると、ひとり35枚。一気にキツくなる。チケット売上が23枚だった役者は、ノルマ24枚の公演なら4500円だけ実費で払えばよかったが、35枚だと54000円を払わないといけない。
自分の感覚としては、小劇場の演劇は登場人物8人以下、チケット代は3000円以下でやりたい。そのくらいでやれないと、作品のスケール感とお客さんの財布の関係が見合わない。
しかし、現実的にそのチケット代でやることは、令和6年現在、難しくなっている。チケット代3000円にした場合。、80席×8ステで、トータル収入1920000円。チケット代4500円の時と比べると96万円の赤字になってしまう。
集客力がある劇団だったら、劇場を長く借りてステージ数を増やしていけば、どこかのポイントで赤字は相殺されるかもしれない。しかし、チケット代3000円で96万の売上を達成するには、320枚売らないといけない。4ステージ増やしてすべて満席なら到達するが、増やした分かかる劇場費や人件費があるから、当然、赤字解消のためにはもっとステージ数を増やさないといけない。そもそも8ステ満席で640枚売っている前提だ。320枚増えて960枚。プラスアルファで黒字なら、大体1000人以上呼ばないといけないということになる。
だが、小劇場の場合、どんなお客さんが見てくれるのかということば、とても重要な要素になると思う。
こう書くと、どんなお客さんに見てもらっても有り難いという考えに反している意見だと解釈されそうだが、そういうことではない。
小劇場は、お客さんと演者の間に、一種の曖昧な境界線があり、空間と経験を共有しているという感覚を、大きい劇場よりも強く感じることができる。それは、テーゼでもなんでもなく、小屋の大きさがもたらす、必然的なものだ。
それは、デモに参加した時の、自分が集団の一部になったと感じる時の安堵感に似ているかもしれない。
その状態になると、舞台上の役者も見ている客も、みんな同じテーマを考えているのだという意識がある。そのテーマで芝居が上演され、意義があったりなかったりするわけだが、その芝居を、その空間において、芝居として成立させるために、熱や息づきで空間を満たすことで作り手として関わる、客の存在は、とても大きい。
となると、どんなお客さんが見てくれるのかは、やはり重要な要素だろう。デモに置き換えてみればいい。たとえば、原発反対デモに参加する人をデモの主催者が求めるとして、ただ、たくさんいればいいというわけではないはずだ。
それはそれとして、興行する側は絶対に、どんなお客さんだろうと大切にしなくてはいけないし、客を選ぶこともしてはいけない。
でも、やろうとしている作品を、どういうお客さんに見せたいのかということは、公演のたびに、はっきりせておかないといけないと思う。
1時間50分ほどで芝居は終わった。なべさんの役は、菜食主義者だったが、ベジタリアンではなくヴィーガン寄りだった。しかし台本的には、ヴィーガンの方が意識高そうに見えるからそういう設定にしているという感じだった。
なべさんに挨拶し、劇場を出た。本番中、どすんどすんという音がひっきりなしに聞こえていたが、建物の2階がフィットネス系のスタジオになっているようだった。中野ウエストエンドスタジオの騒音問題を思い出した。
夕食に『揚州商人』で排骨麺食べる。
10時、実家帰宅。母に、高知土産の饅頭を渡す。
12時就寝。