自分へのあて書きは寒くなる

7時半起き。朝飯にちゃんぽん。具材とスープは昨日作ったのが残っていたのですぐ出来た。

9時半から作業。

今日はひたすら眠かった。気温低下によるものだと思う。

昼、ご飯、切り干し大根、ひじき煮付け、かぶぬか漬け、わかめ豆腐味噌汁。家のありものばかり。でも、こういうご飯が一番贅沢をしている気になる。

外で物音がした。見ると、ネズミがデスモアを容器ごとくわえて逃げていった。

午後、Git 関連の調べ物。自宅環境では GitKraken を使用しているが、それはプログラミングではなく文章関連だ。プログラミングでGit を使う機会は、現場上においては、今のところない。

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』読む。モーツァルトの他、西行や実朝の和歌についての評論があるが、作品から作者を知るという態度が一貫している。

デスモアの新しい容器をガムテープで段ボールにとめて外に設置した。

夜、昼と同じメニューに、だし巻き卵を加えた。ひっくり返す時、卵焼き器の奥を高く、手前を低くした状態にすれば、卵を手前にかえすのが楽になることがわかった。手前に転がしやすくする感覚だ。

外のデスモアを見ると、中身が少し減っていた。

過去に書いた台本の整理をする。2014年の『にじ』関連。その2年前にやった『テキストファイル』と同じく、いくつかの短編を無理矢理一つのコンセプトでつなげたもの。

テキストを追っていくと、自分がやった役のセリフが、なんだか寒い。理由は、あて書きをしているからてあり、他の役者へのあて書きは、客観的な人物観察をベースにしているが、自分へのあて書きは、人物観察という作業を欠いているからだ。つまり、自分のセリフを書くこと自体が、ただの自己紹介になっている。

もともと、演じたいからマグを始めたのに、自分へのあて書きがそういうことになってしまう構造に、今まで気がついてなかったのは不思議だ。いつも、自分の演技的力量や、稽古時間のなさのせいだと思っていた。違うんだ。自分にあて書きしているからなのだ。

『悪名』見終える。浪花千栄子の女親分のところからラストまで。

「さよりっ子達」を練習しつつ、ここ三年ほどやってきた『海の日記帳』の、すでに仕上げたものを、順番にやり直してみた。驚くほど忘れていた。「さよりっ子」を覚えながら、過去の課題も順番に思い出す作業をしていくと、いい稽古になるかもしれない。

2時就寝。

コメント