朝7時半起き。朝飯に、ご飯、だし巻き卵、かぶのぬか漬け。
洗濯物を取り込み室内に干す。外に置いたデスモアはそれほど減っていなかったが、周囲に数粒こぼれていたので、たぶん昨夜ネズミがきて食べたのだろう。
8時半過ぎに家を出る。9時半現場へ。
どさん子ツールの操作説明書を更新する。内容よりはレイアウトについて考える時間の方が多かった。
昼、『A食堂』で、下田産鰺の干物とおばんざいランチを食べた。ランチメニューは他にも色々あり、どれも女子が好きそうな感じだった。
午後、操作説明書作りを続ける。二つ隣の席のマハさんに、マラソンやっているんですかと聞かれたので、冬と来年春に走らないといかんのですと自嘲気味に話した。
丸一日ドキュメント作りをして、6時にあがる。
実家に帰ると母にSMSを送っていたのだが、返事がなかった。自分のスマホを見ると、10月3日以降、母に送ったメッセージが、すべて送信失敗になっていた。
『タンメントナリ』で、味噌タンメンと唐揚げのセットを食べて、実家帰宅。
母のスマホにSMSが届かない原因は、母のメール受信設定によるものだった。なぜか、ドコモ以外の通信業者のSMSを受信しないようになっていた。
明日早朝、釣りに行くため、タイマーを3時過ぎにセットして9時過ぎ就寝したが、11時半に起きてしまった。
前腿のストレッチをした。8月に左足を捻挫して以来、左腿のストレッチができなかったが、今日はゆっくり時間をかけたので、久しぶりに前腿の筋肉をのばすことができた。
捻挫をしたことで起きた大きな変化が一つある。左足の裏、小指の付け根にある小指球に、昔からあった魚の目が、消失したか、あるいは小さくなっているのだ。
この魚の目は長年の宿痾であり、それは小指球の角質が厚くなることとセットになっていた。角質が厚くなると魚の目が刺激され、底の堅い靴を履いたら歩けないほど痛かった。そのため、角質がある程度の厚さになると、カッターで角質を切り取る作業が必要だった。
魚の目ができたのは、たぶん学生時代だったと思う。靴底がよじれてそのまま固くなった靴を長いこと履いていたら豆ができて、それが魚の目になったように記憶している。
スピール膏、イボコロリ、軽石、角質削り器、患部へのお灸、さまざまの方法を試したが、魚の目が消えることはなかった。
ここ数年はお灸をする事が多かった。理由は、痛みが消えるのが一番早かったからだ。角質をカッターで削るのではなく、お灸で焼き、焦げた部分だけを切り取れば、魚の目は小さくなった。しかし、ある程度小さくなると、皮膚の下に、裂け目のようなものが埋まっているのが見えた。角質ができるのは、その傷口を塞ぐためではないかと思った。しかし、普通の魚の目は芯のようなものがあるはずだ。それはなかった。しかし、角質が厚くなると、文字通り魚の目のような魚の目が現れた。
魚の目が全然痛くないことに気がついたのは今月になってからだ。じんましんが出たので、お灸で内蔵関係を癒すため、ツボにせんねん灸をしていた時、そういえば魚の目のお灸を7月からしていないことに気がついたのだ。いつもは、気がつく前に、厚くなった角質が魚の目を刺激することで、嫌でも魚の目の存在を意識させられていた。
この時、角質と魚の目の現状を知るために、小指球を指で強く押してみた。すると、いつもなら感じるはずの疼痛がなかった。
今週日曜日、実家にいるとき、厚くなった角質を削ってみた。すると、魚の目は、輪郭をうっすらと残していたが、薄くなっていた。押しても痛みはまったくなかった。たとえるなら、皮膚の下に埋もれた裂傷が塞がり、傷口が残っている感じ。
やはり、8月の捻挫がなんらかの影響を及ぼしたとしか考えられない。歩く時に重心を小指側へかけないようになったとか、左足が腫れて全体的にむくんでいた時に、魚の目患部もその膨らみの治癒効果の恩恵を受けていたとか。
同じように、今度はしゃがんだ時に踵が地面につかない状態も治らないかな。父、妹、オレがそうで、母は踵がつくため、骨格や筋肉配置の遺伝なのだが。