9時過ぎギリギリ起き。最近、タオルケットと掛け布団の上に毛布を掛けるという、真冬の寝具システム運用を開始したのだが、おかげで布団内部が春眠誘導にちょうど良い加減に温まり、起きるのが精神的にしんどくなった。いつまでも寝ていたい。
昨日作業した、ツールのフォーム位置調整機能が、現場よりも大きい自宅液晶でも機能するかを確認した。無事機能したので、次のツール更新時に実装できそうだ。
昼、いつもの内科健診へ。「こちらへどうぞー」と、妖艶な看護士さんに案内され、体重と血圧を測ってもらう。最近、来るたびに測ってもらっている。そういうことを意識せずに来ているので、値はいいとは限らない。
帰宅し、昼飯にホットドッグとサッポロ一番しょうゆを食べる。
たこ焼きツールの改修について、リーダーからメッセージをもらったので、こうしたらどうでしょうみたいなことを返信する。
夜、大根とこんにゃくの煮物を作る。いしるとしょうゆで味付けした。いしるは、ふるさと納税で結構な本数をもらった。当初はいしるのみで味つけを試みていたが、最近はしょうゆと組み合わせて使うのが一番好みの味になるとわかってきた。使い方は、本来のレシピで用いるしょうゆの量を半分にし、残り半分の3分の2をいしるにすると、塩分的にちょうどいい。元のレシピでしょうゆ30ml だったら、しょうゆ15ml、いしる10mlにする。
「りゅう」の、つっかえやすい箇所を100回繰り返し練習した。桜木花道のシュート練習ではないが、「100回で足りるのか?」と思わないではなかったが、やってみると100回に到達するのに体感時間が結構かかった。しかも、実際にかかった時間は30分程度だった。短っ!
Youtube で、U系三派の歴史動画をまとめて見る。1992年頃の状況。高田時代。
この頃はプロレスをまったく見ていなかった。見るようになったのは1994年の前半。天龍が猪木と対戦したあたり。そこから、大仁田・ターザン後藤vs天龍・阿修羅原を経たあたりまでの短い期間、まあまあ見ていた。その短い期間は、まだ高田絶頂期だった。
そこから飛んで、1996年後半からまたプロレスを見るようになる。1994年前半から2年半経っており、あの武藤vs高田戦を経て、興行団体としての藤原組はすでになく、Uインターは落日寸前、田村はリングスに移籍、パンクラスは船木vsルッテン戦の直後くらいだったか。
プロレス界に流れる時間に沿って、絶対時間を物差しのように当てはめると、プロレス界における一時代に起きたことは、絶対時間においてほんのわずかの間であることが多い。つまりその時代は、出来事の密度が濃いのだろう。
ビートルズに置き換えると、1967年にサージェント・ペパーをリリースしてから、1969年にアビー・ロードをリリースするまでの濃さが凄まじい。わずか2年4ヶ月しかない。
関係ないが、ここ数年、声の旬というものが気になっていて、最高の時期というのはそんなに長くないのだという結論に至っている。
声の旬ということでジョン・レノンのボーカル曲を聞いていくと、アルバムでいえば、ウィズ・ザ・ビートルズの時がその時ではないだろうか? Money とか、ほんとにほれぼれする。この時期、つまり1963年後半、ファンの叫び声が限界を超える前後あたりに、ブリテンのどこかの会場でビートルズのライブを生で聞けた日本人なんているのだろうか? いないだろうな。
関係ないついでに、今日、洗い物をしている時に、『あざとブサイク』ってどういうのだろうと考えた。写真を撮られる時に、指で鼻を押して上に上げたり、顔を両手で挟んで寄せてプラックジャックのピノコみたいにすることか?
男同士で、お互いに『あざとブサイク』な所作を実行しながら、「あざといなあ」と言い合うのは、きっと楽しいだろう。女同士でもいい。学生時代、芝居の仕込み日になると、こういう遊びが自然発生的に生まれたものだ。稽古後の徹夜作業となると、理性や判断能力が著しく低下して、誰もツッコまなかったせいだろう。
ただ、こういう遊びが出来なくなる自分にはなりたくない。

