フランダースの疲労

6時前にいったん起きた。ひどく眠かった。7時過ぎに母に起こされた。朝食にピラフ食べる。
父の様子は通常に戻っていた。投薬から時間が経つごとに副作用が弱まっていくのかもしれない。
聖路加病院が公開しているケモブレインについての資料を父に渡す。
頭の働きが鈍る副作用があるということは、今後の治療について継続するか否かの判断能力を失う可能性があるということで、それが一番の問題だ。次回治療時に医師とその辺のところを確認した方がいいたろう。
母の方はカウンセリングの予約を昨晩しておいた。ただ、効果については若干疑問が出てきた。そもそも母は、悩みがあったりする時、誰にも話せないという悩み方をする人ではない。話す相手を必ず見つけ、思いの丈をぶちまける。
むしろ、自分で気づかない様々な兆候に問題がある。二十年以上水泳を続けているが、最近ブールで一緒に泳いでいる知人から、どうしてそんなに必死になって泳いでいるのかと言われたらしい。本人はそのつもりはないらしいが、他人にはそう見えるようだ。肉体は確かによく動くのだが、動きを把握する能力は落ちている。マラソンで言えば、ハイペースで走っていることに気づかない。つまり、年齢に比して若い肉体を認識する能力は老いている。
母に必要なのは、肉体の老いかもしれない。玉手箱をあけない浦島太郎。やはり、いつかは開けなければならないのだと思う。

8時に家を出る。

午前中、ツール作業。だいぶまとまってきた。全体的にだんだんシンプルになっていく。

座っている時、太ももとふくらはぎが太くなっているのを感じた。一昨日走ったことによるパンプアップかもしれないが、これ以上太くなったらパンツがはけなくなる。

昨夜、2011年に書いた「太一人」を少し読み返した。こんなこと書いていたのかと、ちょっと驚いた。ほとんど覚えていなかった。
内容は、マラソンのユニフォーム着た男が突然劇場入り口からやって来て舞台に上がり、身の上話をするから何か食わせてくれとお客さんに頼むというものだった。

身の上話はこんな感じ。

自分はとある最貧国で生まれた。心肺能力が異様に高かったので、日本陸上界の闇スカウトの目に止まり、日本国籍を付与され、日本人になりすますことになった。長距離ランナーとして華々しい活躍をしてきたが、あることがきっかけでマラソンをやめ、今はフリーター。

台本は改行をやたらに多くしていたが、つなげた方が饒舌に演じられたかもしれない。たぶん40分以内でできるはずだ。書き直してやってみようか。今ちょうど、マラソンのトレーニングをしていることだし。
一人芝居台本はもう一つある。2011年の1月にマグ不足で上演したやつで、瀬戸内海の無人島で密漁監視の仕事をしている男が、なぜ自分がいまここにいるのかを話すというもの。この夏、瀬戸内に旅行したことだし、これも再演できるはずだ。
どちらの芝居も、今の自分はこうで、なぜこうなったかを回想場面で演じる構造だ。そして、どちらも2011年に書いた。

「もしかして、それ全部やっちゃってもらっちゃってる?」
「やっちゃってもらっちゃってるっていうか、誰かがもうやっちゃってくれちゃってる」
「やーだー、やさしー」
「だれ? あたし?」
「やっちゃってくれちゃってる人」
「やっちゃってくれちゃってるって発見したあたしは?」
「やさし」
「やーだー、言い方違うー」
「えー、おなじだよー」
「同じじゃないんー」
「なんて言えばいいの」
「やーさーしーいー」
「言ったじゃん」
「言ってないよ。ぼつりと、やさし、だもん」

同僚の会話が耳に飛び込んできた。面白い言い回しを時々ノートにメモしており、結構たまってきている。

昼、フォルクスでランチ。
この前、生前の馬場さんが食事でポタージュを飲んでいる映像を観たので、スープはいちばんこってりしているコーンスープにした。もっとも馬場さんがのんでいらしたのはファミレスのランチでどうせオレなんかが飲むような安物ではなく、キャピトル東急のレストランオリガミで供される奴だったが。
オリガミといえばパーコー麺が超有名だ。食べたことない。食べなければ。

午後、作業手順書を作りつつ、足りない機能を補完する。夕方、肝心の機能を実装し忘れていることに気づいた。レコードの新規追加だ。そんな基本的なことを忘れるなんて。既定レコードの作業が中心の案件だから失念していたが、やはり必要だ。
新規追加をするタイミングは、入力しようとした対象が検索しても出てこなかった時だろうとあたりをつけ、別フォームで追加できるようにしてみた。追加したらしたで、過去分のデータを出力する際のトータルレコード数はどうするのかなどの問題が出てきた。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。

中野の図書館へ予約した本を受け取りに行った。 借りたのは芦田愛菜『まなの本棚』のみだった。 受付の女性は本を見て(なんていう本を借りるのよ、このヘンタイ!)と言いたそうな目つきをしていた。芦田愛菜のファンなのかもしれない。顔にフランダースの疲労が出まくった落ちこぼれサラリーマン風のオレなんかが借りていい本ではないと、彼女は言いたかったのかもしれない。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

夕食にホイコーローを作って食べた。

『まなの本棚』を少し読んだ。
ライターによる聞き書きだろう。矢沢永吉『成りあがり』と同じだ。
ブックガイドとしてではなく、変種のタレント本であり、PR本でもある。芦田愛菜をそういうふうに売っていこうという事務所の思惑と、そういう芦田愛菜の本なら売れるという出版社の思惑が一致したのだろう。さすがに中学三年生が自分の意志で(こういう本を出したい)とは思いつけないだろう。本好きなら、そんなことより、まだ読んでいない本が気になるはずだから。
それでも、芦田愛菜さんの本好きには嘘がなく、なんだか、こんな本につきあわせてすまないなあという気持ちになった。芦田愛菜さんは、大学行って留学して、国連やユニセフに勤めて、貧困や難民や子供の幸福について働くひとになってくれた方がいいんじゃないかな。