堺正章版『西遊記』にはまる。
パート1の猪八戒役は西田俊行だ。
八戒は嫌われることの多いキャラクターだが、西田俊行はすこぶる愛嬌のある演技で、憎めない八戒像を作り上げている。
岸部シローは役者の実力的に西田敏行劣り、掛け合いの面白さは堺正章と西田俊行の二人が担っている。
逆にいえば、堺-西田の二人がしっかりしているため、岸辺シローの沙悟浄は引いた位置にいた方がかえって目立つということになる。
夏目雅子は演技的にはまだまだ未熟で、ベテランに挟まれた新人女優といった感じがする。
『西遊記』に限らず、この頃のテレビドラマはどれも面白かった。
バラエティー番組の黄金時代が昭和40年代だとすれば、昭和50年代はテレビドラマの黄金時代だ。
『西遊記』放映時に、
(これは歴史に残るドラマだ)
と特別に思ったりはしなかった。
他にも面白いドラマが沢山あった。
黄金時代は、終わってから気づくものなのだろう。
というわけで、夜はずっと『西遊記』を見ていた。
パート1、パート2とも、目的地の天竺にはたどり着けない。
当時はそれが不思議だったが、今思うとこれほど的確な終わらせ方はない。
天竺にたどり着くことではなく、たどり着くまでのプロセスこそが『西遊記』の醍醐味だからだ。
だから彼らは旅を続けなければいけない。
そして天竺に着いてはいけない。