昼の1時に目を覚ます。
望月との話し合いがあったので、軽く食事を済ませてから武蔵小金井に向かう。
駅前のサンジェルマンで待ち合わせをした。
先に来ていた望月、なんと葉巻を吸っていた。
俺も今まで色々な人と待ち合わせをしてきたが、葉巻を吸っていた人はいなかった。
「やあ、どうもどうも」
「どうしたのそれ?」
「え、ああ、これね、最近はまっているんですよ。こないだのイルカ団の時に松井さんにもらって」
チケット、タイムテーブル、スタッフの件、等々を話し合う。
7月公演の件はある意味「降りかかる火の粉」のように対応しているのだが、12月公演は今まで一度も意見を交わしてなかったので、それについても現在のところの希望などを意見交換する。
5時頃まで話し合い、望月に「断末魔の驫木氏」のビデオを渡して別れる。
6時、荻窪アール・ヴィゴ、仮説劇団時計少年の芝居を観る。
わっちゃんが出演している。
時計少年は女の子ばかりの劇団とのこと。パンフレットに書いてあった。
若い娘達が緑色のカミナリ様かつらをつけて、縦横無尽に動き回る様は、理屈抜きに迫力があった。
ただ、演出的にそのことへの力分配はされていなかった。
勿体ないことだ。
そういう若さを演出しようと思う者は、若さを客観的に見ることが出来、同時にもう若くはない人間だ。
俺か、俺なのか?
若い役者は自分の若さに対して無自覚だから、自然、出来上がる芝居も無防備になる。
ほったらかしにしておくと、素材が持つ「うまみ成分」が出てこない。
かといって年を取った人間が、若い役者に「若さ幻想」を押しつけるというのも、大変困った事態なのだが。
わっちゃんはかっこいい役をこなしていた。
まるでアラブの石油王の息子がヨーロッパに留学しているみたいなたたずまいで演技しており、彼の意外な一面を見る思いがした。
岡田さん、つるまみ、家城君観に来ていた。
3人と一緒に帰る。
岡田さんより衝撃的な話を聞く。
「塚本さん知ってますか? チャリカルキ、公演中止になったんですよ」
「えーっ! 俺、昨日観てきたのに! 何があったの?」
「女優さんが急病で、出られなくなっちゃったらしいんですよ」
何でも風邪をこじらせ、高熱を発したのだという。
岡田さんは今日の昼間に劇場に行き、めぐみちゃんとも話したそうだ。
めぐみちゃんは今日、知り合いが一番沢山見に来る日だったらしい。
ビーグル氏は顔が引きつり、目は泳いだ状態だったという。
そりゃそうだ。俺が同じ立場だったらどうしていたか。
こういう話は芝居をやっている人間にとっては実にやりきれない類のものだ。
誰もいい思いをしないし、みんなが傷つく。
病欠の女優さんも、いたたまれないだろう。
9時帰宅。
「『禍いの荷を負う男』亭の殺人」読み終わる。
作者はアメリカ人で、熱狂的なイギリスファンとのこと。
わざとらしいくらいイギリス的な描写があったりしたのはそのせいかもしれない。
まあ、話自体は極めて基本に忠実なミステリーだったが。
ゴダードの後に読むとあっさりしすぎかも。