ラジコンとの短い日々

 最高気温がおそらくぎりぎり15度前後だったであろう昨日と比べて、今日は朝から太陽の調子がよい。
 昼にはがぜんやる気を増して、20度を大きく上回った。
 当然町を歩くと汗ばむ。

 そんな陽気だというのに、朝っぱらから山手線が運休して、交通機関は乱れていた。
 もしも電波を目で見ることができたなら、新宿駅構内の携帯電話の電波は、ソンムの戦いで飛び交う弾丸のようだったかもしれない。
 ふと、今書いている『ラジコン少年』の設定に使えないかと考える。
 電波が見える少年。
 なくしたラジコン探しの名人。
 しかし、ラジコンを無くすなんてことは、普通はありえないことだ。
 つねに目の届くところにあってこそコントロールができるのだから。

 11歳の時に完成品のラジコンをお年玉で買った。
 バギータイプだったので、ある程度路面がでこぼこしていても走った。
 ただし、はじめは普通の単1電池で動かしていたため、めっぽう遅かった。
 別売りのニッカド電池をのちに買って、初めて本来のスピードが出せるようになった。

 近所に住んでいたツカサくんという1歳下の子がいて、彼といっしょによく遊んだ。
 はじめは適当なコースを作って競争みたいなことをしていたのだが、そのうちに飽きてくる。
 で、次にやった遊びは、空き缶を積み上げてそこにラジコンを突っ込ませるというもの。
 これはなかなか面白かった。

 そのうちに、もっともっとラジコンについて知りたくなり、すがやみつるの書いたラジコン入門の漫画を買った。
 キットというところに心惹かれたのだが、安いものでも総予算が2万以上かかり、子供の小遣いでは手が出なかった。

 その頃、喘息を患っていて、2月の寒い日に一日中外でラジコン遊びをしていたら、夜中に発作を起こして死にそうになった。
 翌日九段下の病院に行くと、肺炎の一歩手前だといわれ、2週間以上学校を休んで自宅療養した。
 うちでラジコン遊びはできないから、本を読んでおとなしくしていたが、雑誌でカメラの広告を見て、ラジコンへの熱がそのままカメラに移ってしまった。
 以来、ラジコンとは縁がない。

 ラジコンに限らず、キットが好きだった。
 だからコンピューターに興味を持った時も、部品から組み立てようと本気で思っていた時期もあった。
 さすがに当時の自作マイコンは敷居が高く、それなら理数系の学校に進学していつかは作ってみせようなどと、中学生の時分には思っていた。

 そういえば演劇を始めたばかりの頃から、いずれは自分で書いたものをやりたいと思っていた。
 ゼロから何かを作っていくというのが楽しいのだ。
 自炊するのも倹約ではなく、ゼロから作るのが面白いからやっているのだ。

 椎名誠『哀愁の街に霧が降るのだ』読む。
 久しぶりに読みたくなった。
 克美荘での共同生活が始まってからが抜群に面白い。

 夕方実家へ。
 先週途中までやっていた実家PCのカスタマイズ作業を続ける。
 やはりウィンドウズ2000の方がXPより動作が軽い。
 たぶんこのPCで使う最後のOSとなるんじゃないだろうか。
 稼動年数は今年で丸6年。

 冷凍食品のピラフを食べ、8時まで腹を休める。
 その後、ジョギング。
 1時間以上かかるが、悪い汗を放出したような気分になる。

 シャワーを浴びてから『ラジコン少年』の構成をまとめる。
 今回は一つ一つのシーンがずいぶん短くなりそうだ。
 これから続きをするので今日はおしまい。