わにとかげぎす

 昨日に続いて雨。
 そして昨日より寒く感じる。
 身体が、
 (これは、寒いと感じていいんだぞ)
 と脳に発信したのだろう。
 昨日より10度も下がったというわけじゃないが、今日は自然に長袖を着ることができた。

 それなのに、たとえばうどんなんかを食べると汗がだらだら流れる。
 まるで真夏のようにだ。
 これは困る。非常に気分が悪い。

 夕方、渋谷へ。 
 松尾スズキがスーパーバイザーとして参加している文芸誌『本人』を買う。
 店の入り口には古谷実の『わにとかげぎす』が大量に平積みされてあったが、これはすでに購入済み。

 ギャラリールデコにて、先月アナウンサー役で映像を手伝った『ラステカービベ』を観る。
 宣伝美術と舞台美術、ともに細田君が担当していたため、トータルのイメージがぶれず、かっこよかった。
 天井に照明の灯体を吊すバトンがないため、工夫して明かりを作っているようだったが、さすがに暗い。
 が、その暗さがねらいとそれほどずれてはいない。
 阿部君(NYLON100℃の眼鏡太郎くん)が、ものすごく落ち着いた芝居をする役者になっていた。

 終演後、片桐夫妻、細田君、山本あゆみさん、映像の福岡さん、そして主宰のフジタさんと話す。
 衣装が格好良かった件などフジタさんにからくりを質問したりする。
 その後、初日打ち上げがあったが、体調を考えパスする。

 帰りの車内で『本人』読む。
 中身は文芸誌だが、広告スペースは少なく、読める文章がぎっしりと詰まっている。
 あたかもサブカル系ライターの牙城といった感じで、松尾スズキの人脈が伺える。
 ライバルは『QJ』か。
 これは一日で読む代物ではない。
 何日かかけてゆっくり読もうと思う。

 古谷実の『わにとかげぎす』は月曜に買い、2回読んだ。
 前作『シガテラ』は、なんでもない日常とその裏側に潜む狂気を描いた作品だった。
 こう書くと、特に目新しさは感じないが、肝となるのは<なんでもない日常>のなんでもなさ具合だ。
 そのページだけ読んでいれば、若者の平凡な日々を描いたラブコメなのに、ページをめくると不意に狂気が現れる。

 『わにとかげぎす』も同様の演出がなされているが、日常と狂気の棲み分けは前作ほどはっきりとしておらず、混じり合っている印象を受ける。
 一番うなった展開は、主人公がホームレスを助けるところ。
 行動だけを判断すれば人間的に賞賛される英雄的行為なのだが、それをしている自分の状態が、
 (眠い)
 (もういい)
 (めんどくさい)
 (疲れた)
 というネガティブさだ。
 このネガティブさが目くらましになり、読者に行為の判断を迷わせる。
 「バカじゃねえの?」
 あるいは、
 「こいつ、偉いよ」
 両極のはざまで、読者はうろうろする。

 一つのお題を出し、登場人物に行動させ、読者を惑わせる。
 こんな構成であるとも言える。
 そして、惑わせるという部分に最近の古谷作品の肝があると思う。
 それを苦いと思うか旨いと思うか?
 「古谷実のマンガって、怖いけど、なんか読んじゃう」
 この「なんか」があるかないかだ。