だらだらと考える

 劇団について色々考えることがある。
 あるどころの話じゃない。
 旗揚げしてからどれだけ考えてきたか、時間に換算すれば相当なものだし、さらにそれを時給に換算すればいい小遣いになる。
 時給など誰もくれやせんが、考えることはやめられない。
 考えることでなにかを突破できたか?
 そう思えたこともあるし、逆に八方ふさがりを実感したこともある。

 アドバイスも沢山受けた。
 素直に従ったこともあれば、言い返して気まずい雰囲気を作ったこともある。
 ただ、アドバイスはいくら善意からのものであろうと、しょせんは言葉だ。
 アドバイスが服を着て、チケットを売ってくれるわけじゃない。

 気持ちの振幅がとても激しい。
 躁鬱、という言葉で定義して良いものかどうかわからないが、良いときと悪いときの差が極端であると自覚している。
 悪いときの自分は、人前に姿を見せないから、誰もそんな自分を知らない。
 稽古が毎日ある時は、稽古の時間帯だけは平気でいられる。
 が、稽古に行く前と、うちに帰ってからは、抜け殻のようになっている。
 日記も書かない。
 日記を書くのは、最低じゃないときだ。

 つい最近も、体調の変化が呼び水となってか、悪い状態に陥った。
 悪い状態といっても、やけ酒をあおるとか、そういうことはしない。
 ただ、洗い物と洗濯物がたまり、部屋が散らかっても、それを片付けようとは思わない。
 部屋は心を映す鏡だと、なにかの本で読んだけど、まさにその通りだ。

 いつも日記をテキストエディタで書くとき、こうしたことは大抵消してしまう。
 短い日記の日は、だらだら書かれた愚痴文を消去してあるケースが多い。

 今日は消去せずにこのまま終わろう。
 気分転換だ。
 こういう日もあっていいだろう。

 夕方、古本屋巡りをする。
 方南町と新中野、それから荻窪をまわった。
 荻窪の古本屋でアラン・ウイリアムズの『ビートルズ派手にやれ!』を発見。
 500円だったので迷わず買う。

 この本は中学生の時に一度読んだきりで、それ以来図書館でもお目にかかることがなかった。
 中三の頭で読むのと、今の頭で読むのとでは、当然理解力が違うだろう。
 読む楽しみができた。