5時半起き。
朝飯に、焼きおにぎりを食べた。
ウェアにゼッケンをつけ、シューズに計測チップをつけ、冷凍した濡れタオルとフォームローラーをリュックに入れた。
6時半に家を出る。
板橋Cityマラソンを走る時はいつも浮間舟渡駅から会場まで歩くのだが、今回は高円寺からバスを使い、都営三田線で西台まで行き、そこから歩くことにした。
高円寺に自転車を止め、環七のバス亭まで歩いた。バスが来るまで15分ほど待ち、王子行きに乗り、大和町の一つ前の停留所で降りた。高円寺から20分ほどしかかからなかった。
板橋本町駅から都営三田線で西台へ。しかし、乗っていたランナー風の人々は、皆、一つ手前の蓮根駅で降りていた。
西台から会場まで歩いた。マラソン参加者の姿はまったく見かけなかった。河川敷の近くで蓮根駅から歩いてきたたくさんのランナーたちと合流した。
板橋Cityマラソンは初めてフルマラソンを走った大会なのでやはり思い入れがある。しかし2017年からは、毎年エントリーを試みてもサブ4を達成できずにいる。
土手沿いの道を歩き、入場ゲートをくぐって受付を済ませ、更衣室テント裏の原っぱで、フォームローラーを使って筋膜リリースをした。腿の表裏とふくらはぎを入念にやった。時々経口補水液を飲んで水分補給をした。
終わってから、ジャージを脱ぎ、フォームローラーとジャージをリュックにしまい、荷物を預けた。ジャージを脱いでも寒さは感じなかった。
トイレに並んだ。長蛇の列だった。
今回のスタートは、申告したタイム別に分けられたグループ別に行われる予定だった。グループAが9時、Bが9時6分、Cが12分、Dが18分だった。トイレに並んでいる途中、Aの号砲が聞こえた。
Cのブロックへ行き、号砲を待った。分けて鳴らすのはいいアイディアだと思った。初めて参加した時は、号砲が鳴ってからスタートゲートをくぐるまで12分かかり、それがネットタイムとグロスタイムの差になった。
快晴の予報だったので帽子をかぶった。3月なのでさすがに夏日にはならないと思ったが、念のためにそうした。
9時12分、Cグループの号砲が鳴った。はじめのうちは前の方が渋滞している気配があったが、1分もしないうちに全体が流れ始め、すぐにランニング体制に入ることができた。
走り始めると、やはり、体が重いと感じた。走り込みではどうにもできない、体重の問題だった。
スタートゲートをくぐるタイミングに合わせ、ガーミンのワークアウトをスタートさせた。5キロ地点までの心拍数ゾーンは、130-140bpmにしてあった。
全体の流れに乗って走っていると、すぐに心拍数アラームが鳴った。140を超えてしまったのだ。140きっかりになるところまでペースを落とすと、ランナーが次から次に追い越していった。予想はしていたが、かなり遅いペースだ。
ペースの微調整を終えた2キロ地点でラップタイムを見ると、6分40秒だった。めちゃくちゃ遅い。しかし、それ以上のペースで走ると心拍数が140を超えてしまう。5キロまでは我慢しようと思い、抜かされるに任せた。
岩淵水門のところで5キロを過ぎた。そこから10キロ地点までの心拍数設定は135-145bpmにしていた。心拍数145で走ると、明らかにペースが上がった。それでも、後からDグループのランナーと共に走ってきた、サブ4のペースメーカーに追い抜かれた。心拍数145じゃ、サブ4は無理ということなんだなあと思った。
10キロ地点を過ぎると心拍設定は140-150bpmになった。そこから先は30キロ地点までその設定のままである。
やっと本気で走れるぜ! と快調に飛ばしたかというとそうでもなく、心拍数150でもキロ5分40秒台程度のタイムだった。それでも、周囲のランナーに抜かさせることはなくなってきた。やっとマラソン大会に参加しているなあと実感することができた。
18キロ地点あたりから、走る時に膝をちょっとだけ斜め上に上げるよう意識した。上げるというより、より前に出すために上がるというイメージだが、ピッチは変えずにそれをすると、スピードが格段に上がった。しかし、とたんに心拍数が150を超えてしまったので、ピッチや上げる高さを調整して落とした。
19キロからは、竹馬に乗る時みたいに体幹を意識し、若干すり足気味に走った。運動強度が少し落ち、心拍数は下がったが、スピードは出なかった。
その先は、経過地点が偶数キロを過ぎたら膝を上げ、奇数キロを過ぎたら体幹を意識するよう、1キロごとに走り方を変えた。結果として、筋肉の負荷を分散させながら走るような感覚になり、30キロ地点まで余力を残したまま走ることができた。
32キロ地点を過ぎてからは、膝が上がらなくなってきた。体幹ランをしても、ペースがどんどん遅くなっていった。ただ、そのあたりから先は『へたり街道』でもあるため、歩いているランナーを次々に追い抜くことができた。しかし、走っているランナーからは追い越されることが多かった。
給水ポイントで水をもらう時に止まらないようにした。それだけでもたくさんのランナーを追い抜けた。
岩淵水門手前で37キロ地点を過ぎた。その先は、走り方チェンジをしてもスピードは変わらなくなっていた。水門を過ぎた先にある下り坂でも、速度を上げることはできなかった。
とにかく止まるまい。それだけを考えていた。
残り1キロを切り、遠くにスタートゲートが見えてきた時、頭に風船をつけたペースメーカーと、後に続くランナーたちに追い抜かれた。4時間30分のペースメーカーだった。さすがに4時間30分は切りたかったので、残り500メートルはペースを上げ、ラストスパートでもするかのように走った。ペースメーカーを追い抜き、ゲートをくぐった瞬間にストップウォッチを止めた。タイムは4時間29分だった。
以前は、スタッフさんがシューズにつけたチップを外してくれたのだが、接触防止のためか、自分で外さなくてはならなかった。フルマラソンを走った直後に身をかがめるのはしんどかった。
シャーベットステーションでリンゴシャーベットをもらって食べ、荷物を受け取り、更衣室テントの裏側に回った。リュックから濡れタオルを出し、塩を吹きまくった全身のあちこちを拭いた。
ジャージを着て会場を後にする。二人組ランナーが蓮根駅に向かっていたので後について歩いた。
途中の信号で右に曲がり、西台駅に向かった。駅前に王将がある。板橋Cityマラソンを走った後は必ず王将に寄ることにしている。蓮根ではなく西台に向かったのは王将があるからだ。
王将は混んでいた。カウンターに一人分スペースがあったのでそこに座った。生ビール、餃子2皿、油淋鶏を頼んだ。生ビールが先に来た。半分飲んだ頃に油淋鶏が来た。ビールを飲み干し、お代わりを頼んだ。油淋鶏をつまみながらビールを飲み、餃子が来た時にもう一杯お代わりした。
飲んでいると、右隣にジャージ姿の若者が座った。彼もたぶんランナーだろうなと思った。声をかけてみようかと一瞬思ったがやめた。
すべて食べ、飲んでから、店を出た。西台から板橋本町まで都営三田線で移動し、環七沿いのバス亭から高円寺行きのバスに乗った。朝は都営バスだったが、今度のは関東バスだった。
座・高円寺前で降り、自転車に乗って5時前帰宅。シャワーを浴び、ドラッグストアへ行きビールを買って来て飲み直した。
ガーミンの記録したラップタイムを見た。5分台で走っていたのは10キロから27キロ地点までだった。それ以降はどんどん遅くなっていき、残り5キロとなった37キロ地点から先は7分台になり、40キロ地点から41キロ地点までは8分台に落ちていた。しかし41キロ地点から42キロ地点までは7分台前半だった。後半のダッシュがあったからだろう。そのようなダッシュはもっと前からできたんじゃないかとも思うが、それには、タイムなどのモチベーションがないと無理だったろう。
夜、スパゲティミートソースを食べた。
11時就寝。