とんがらしの思い出

朝、5時半起き。夕べは宵っ張りで、4時くらいまで起きていたので、仮眠をとってちょっと起きたという感じに等しい。

謎肉で親子丼を作ってみた。煮干しで出汁をとった手作りめんつゆが冷蔵庫に残っていたので、それで作ったが、かなりしょっぱかった。謎肉自体に味がついているせいだろう。一昨日のカツ丼などは、そのめんつゆがちょうどよかったのだが。

作った手作りめんつゆは結構量があって、日々、そうめんや讃岐うどんのつけつゆに使ったりしてきた。インスタント出汁とは違って、そうめんを食べるのが楽しみになるほどおいしいつゆになった。

母方の祖母がまだ元気だった頃、夏になると作ってくれた素麺がたいそう美味しかった。長らく、そのつゆの出汁は、干し椎茸の戻し汁だと思いこんでいたのだが、数年前に母から、祖母はひと月に一回のペースで築地に出かけ、煮干しを買ってきていたという話を聞き、じゃああの素麺のつゆも煮干し出汁だったのではないかと思い、今回作ってみて確信した。ばあちゃんの素麺つゆは、煮干し出汁だ。

たぶん、食べたのは、幼稚園の年長から小学校二年生までの3年間だ。幼稚園以前は素麺を好物として認識していなかったし、小学校三年生の時、ばあちゃんはもう入院生活に入っている。

謎肉親子丼を食べると、すこし胸焼けがしてきた。睡眠時間も足りていなかったので、昼近くまで二度寝した。

昼、のこりのめんつゆはうどん一杯分くらいだったので、有終の美を飾るため、天ぷらうどんにして食べることにした。せっかくだから、かつて水道橋にあり、武道館や東京ドームに何かしら見に行く時に寄った立ち食いそば『とんがりし』の、もり合わせ天ぷらを再現してみることにした。

サミットへ行き、むきえび、冷凍イカ、舞茸、茄子を買ってきた。乾うどんを茹でつつ、衣を作り、油を温める。

『とんがらし』のもり合わせうどんは、エビが5尾、イカが2枚、茄子がひとつだったと思うが、店の壁に貼ってあるメニューにそう書いていただけで、実際はもっと色々のっかっていたような気がする。それでいて、値段は550円だった。

メニュー受け渡しカウンターでおばちゃんに注文してお金を払うと、おばちゃんは麺を茹で、おじちゃんは奥の揚げ場で天ぷらを揚げてくれた。

もりあわせの天ぷらをなす抜きにし、麺をうどんで注文した時の、おばちゃんとおじちゃんのやり取りは、こうだった。

「(奥のおじちゃんに)もりあわせ、なす抜きでーす」
「はいよーっ」

二人の声が、明るくて、ほんとに仲よさそうで、いつも気持ちが和んだものだった。

店は、2019年に惜しまれつつ閉店したが、その後数年間、別の経営者によって営業は続けられた。だがそれも、『海外でチェーン展開』するとかで、コロナ期に完全閉業となった。

いい店だったなあ…と、しみじみ思い出しながら天ぷらを揚げたが、天ぷら作りは場数を踏んでいないために、できた天ぷらは全然サクサクじゃなかったし、衣も薄すぎた。

うどんに、手作りつゆの汁をかけ、天ぷらを乗せた。いちおう、エビとイカはとんがらしの数に合わせ、舞茸の天ぷらも足した。

天ぷらは案の定下手くそで、とんがらしの『もり合わせうどん』とは似ても似つかない味だったが、気分だけは味わうことができた。

過去に撮影した『とんがらし』関連の写真が結構あった。2009年から2019年までの10年分。

腹が落ち着くのを待ち、2時過ぎから走りに行く。

荒玉水道をまっすぐ世田谷通りまで走った。そのあたりにある、川田利明のラーメン屋の場所を確認してから、世田谷通りを多摩川まで走った。

橋を渡り、登戸で走行距離が12キロになったところで引き返し、帰りは小田急線の北側を、住宅地を縫うようにして走り、環八に出てから、荒玉水道に合流し、家まで走った。走行距離は25キロだった。

夜、中日ー広島戦は、試合結果だけ見た。4-0で中日が勝利した。勝ちは湧井。ドラゴンズは4勝3敗で、貯金が1になった。貯金ができたのは一昨年の4月以来だ。まさに、ちょうど今頃以来ではなかったか。

朝と昼にこってりしたものを食べたため、25キロ走ったのに腹はまったく減らなかった。

12時過ぎ就寝。