最終コーナーで捻挫

6時起き。

朝6時からやっている『されどおにぎり』というおにぎり店へ。梅干し、魚の親子、チャーシューネギ味噌のおにぎりと、豚汁を買い、宿に戻って朝飯に食べた。

おにぎりは、米がものすごく美味かった。普段食べている米って何なんだろうと思うほどの美味さだった。

食べ終えてから荷造りをし、7時半に宿を出た。スクーターの燃料ゲージは、昨日の時点で6メモリのうち4をさしていたが、宿を出てすぐに3になった。

佐渡一周線の西側を走りながら、昨日行った莚場海水浴場を目指した。途中、大きな川の橋を渡った。国府川という川だった。島の川にしては、水量がずいぶんあると思った。

車よりスクーターは遅いので、Googleマップの示す経路の予定時間より長くかかった。1時間半近く走り、9時過ぎに莚場海水浴場に着いた。

誰もいなかった。

マスクとシュノーケルをつけて、海に入った。水はぬるかった。透明度はとても高く、水深が3メートルほどのところにきても、水底がはっきりと見えた。

砂地の海水浴場だったが、ところどころに岩があり、魚はその周りにいた。しかし、昨日の二ツ亀同様、数は少なかった。暑いため、もっと水温が低く水深のある沖の方にいるのではないか。

海に入って上がり、麦茶を飲んで休憩し、また海に入った。それを淡々と繰り返した。岩場近くに行ったり、消波ブロック近くに行ったり、まあまあ沖の方に行ったりしたが、波は低く流れもなかった。魚は、キュウセンとホシフグが目立った。根魚っぽい魚や、種類がわからない魚もいたが、数は少なかった。

11時頃までそうやってひたすらシュノーケリングをした。そのうち、家族連れが二組ほどやってきてテントを張ったので、水のシャワーを浴び、マリンシューズやマスクを洗って乾かし、マリンシューズがある程度乾いたところで、浜辺を後にした。時刻は11時半だった。

バイクは2時までに返却すれば良かった。このまま佐渡一周線を走れば時間的には余裕で間に合ったが、ガスの残量がちょっとだけ気がかりだった。海水浴場を出て少しすると、残量メモリが2になった。佐渡一周線沿いのガソリンスタンドは日曜が休みのところが多いため、途中で補充するのは難しい。計算すれば、2メモリあれば両津港まで行くには十分足りるはずだったが、メモリ通りの量が本当にあるのかは、バイクのユーザーでないとわからないところもある。2から0までは減るペースが急激に速くなったりとか。

しかし、両津までの残りキロ数が30キロを切ったあたりで、さすがに大丈夫だろうと思った。ひとメモリで30キロいかないということはあり得ないし、もし切れたとしても、その時点の両津港までの距離はそれほど離れていないはずだ。

12時を過ぎたところで、島の東端である風島弁天に着いた。パーキングにスクーターを止め、写真を撮ってひと休みした。

風島弁天は二ツ亀と同じく、岸からやや離れたところに岩があり、陸続きになっている。岩には柵つきの階段があって上れるようになっていた。これは上るしかないと思い、入口の鳥居のところに向かった。

鳥居をくぐろうとしたとたん、地面の何かに左足を取られた。芝生になっている地面の一部に穴があいていた。その穴を草が覆っていたため、落とし穴みたいに見えなくなっていた。

左足の外側がその穴に落ち、武藤敬司にドラゴンスクリューをかけられた高田延彦みたいに派手にすっ転んでしまった。転んですぐ、左足の様子を確かめた。指は動いた。足首も大丈夫。動かさなければ痛みはない。全体を触っても痛みはない。骨は折れていないようだ。

少し落ち着いてから立ち上がると、左足はやはり挫いているのが分かった。そっと歩いてみると、この時点では普通に歩けたが、つま先に体重をかけると疼痛を感じた。痛みがないのはまだ腫れていないからだろうと思った。とりあえず、この状態で風島弁天の階段を上るのはやめた方がいい。

鳥居をくぐったすぐ先にお社があったので、お賽銭に110円を払い、神妙な気持ちでお参りした。

時刻は12時30分を過ぎていた。ここからバイクを借りた店までは、30分ほどかかりそうだった。2時まで借りていたが、佐渡一周線をちょうどひと回りできたし、走るのはもう十分だと思った。

スクーターで両津に向かった。捻挫した場所は、周回コースでいうと最終コーナーだった。あとは北西に向かってまっすぐ進めばゴールだった。

1時に店に着いた。バイクを降りて歩くと、痛みが増していた。腫れてきたためだ。

鍵とヘルメットを店の人に渡してから、そのお店がやっているカフェで、昼飯にハンバーガーを食べた。昨日バイクを借りた時から気になっていた。それに、捻挫したから言えることだが、店を探して余計に歩き回らなくて済む点も良かった。

ハンバーガーは、パティの肉汁がバンズに染みて、野菜も新鮮で、大変美味しかった。

店を出てフェリー乗り場に向かった。店は乗り場のすぐ近くにあったので、ここでも歩く距離が短くて済んだ。

フェリー乗り場2階の土産物売り場で土産を買い、待合室の畳席でリュックに左足を乗せて心臓より高い位置にし、寝転んだ。捻挫してから2時間くらい経ち、腫れは大きくなっていた。腫れていなければ歩く時に痛みはないので、スクーターに乗っているうちにドラッグストアてテーピングを買っておけば良かったと思った。

フェリーの出発時刻は4時過ぎだった。3時半頃に改札の列に並んだ。横になっている間、腫れがさらに大きくなったため、よりいっそう歩きにくくなっていた。足を引きずりながら貧民席へ行き、スペースを確保してから、足をリュックの上において寝転がった。

じっとしている分には痛みはまったくなかったので、とにかく、腫れをこれ以上大きくしないことだけを心がければ良かったのだが、足を高くしても腫れが引く様子はなかった。タオルを荷物から出し、簡易テーピングもしてみたが、足が痺れるだけだったのでやめた。

1時間半ほどは足を上にして寝っ転がっていたが、腫れが引く効果がなかったので、半身を起こして読書に集中した。

6時半過ぎ、フェリーは新潟に着いた。新潟駅行きのバス乗り場へ、足を引きずりながら歩いた。

一昨日バスターミナルカレーを食べた『万代そば』の隣にある中華屋のチャーハンが美味いと、SNS経由で0塚さんが教えてくれたので、夕飯はそれにしようと思っていたのだが、ビル近くのバス亭に着いたのが6時54分頃で、閉店時刻が7時だったので、諦めた。足を引きずりながらだと、距離的に閉店には間に合わないと思った。

駅前で降りた。とりあえずホッとした。あとは、風呂と夕食だ。

予定では、駅の南口から歩いて数分のところにある銭湯に行き、いい感じの居酒屋で飲んでから、帰りのバスに乗車するつもりだった。乗車時刻は11時55分だった。

しかし、足の腫れ具合から、歩き回るのは無理だった。この時が、今日一日で一番歩きにくかった。つまり、腫れが一番大きくなっていたということだろう。

とりあえず、現状の腫れを収めるため、ドラッグストアでテーピングを買い、患部と関節の固定をした。しかし、すでに足が腫れた状態だったため、履いているスリッパにつま先が入りきらず、結果、スリッパの踵部分で土踏まずを刺激するような履き方になってしまった。そのため、テーピングして、即、歩き回れるようにはならなかった。

とにかく、何があっても大丈夫なように、バス乗り場近くに移動した。そして、その地点に立って視界に入るお店で、時間をつぶすことにした。できれば3時間くらい。さらに、できればスマホの充電をしつつ。

ビルの上階にある、ビールとハイボールが安い、よくある系の居酒屋に入った。カウンター席に案内された。ドリンクカウンターと洗い場の向かいに位置しており、カウンター内は店員のバックステージ的スペースになっており、中では、男先輩、男後輩、女後輩が、今どきの若者トークをひっきりなしに繰り広げながら働いていた。

焼きそばとチキン南蛮を頼み、ビールとハイボールをちびちび飲んだ。時間をつぶすことが目的だったので、飲み物はゆっくり飲んだ。

スマホの充電はできなかったので、電源をオフにした。バス乗車時にチケット画面を見せる時、バッテリー残量がゼロになっていたらシャレにならないからだ。その時点の残量は20パーセントだった。

『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』読了。古市憲寿の著作を読むのは初めてだったが、これは対談本なので、著作とはちょっと違うのかもしれない。内容は、彼が社会学者と対談し、社会学とは何かを問うものだった。

先日、都知事選時のテレビ番組で、石丸候補と古市氏が噛み合わない議論をしたことが話題になった。石丸構文という言葉が生まれたのは、その議論以降だと思う。

つまり古市氏は、石丸さんを世に出す触媒のような役割を果たしたのであるが、ニュースを知った時受けた印象は、テレビ局が古市氏を使って石丸氏にケンカをふっかけさせたようだ、というものだだった。

しかし本書を読んで、あれは古市氏が、いつもの『社会学的態度』をとったに過ぎないのだということが分かった。ただ、相手の石丸氏は、社会学というリングで殴り合いをするストライカーではなく、おそらく別競技のグラップラーであったため、試合はまったく噛み合わずに終わったということなのだろう。

じゃあ石丸氏は、どんな競技のファイターなのか? それがわからないため、とりあえす古市氏の著作を読んでみようと思ったのが、本書を読む動機だったが、読み終えた結果、社会学という学問に新たな興味を持つことができた。

三ヶ島糸『奇人でけっこう』読み始める。今日の夜、日本でこの本を読んでいるのは、オレだけじゃないかと思いながら。

著者は、「ズビズバー」というスキャットが印象的なヒットソングを持っている、ある有名俳優の夫人であり、夫が亡くなってから数年後に本書を出版した。夫は、放浪癖があり放蕩三昧だった若い時代と、とある宗教家に給料のほとんどをむしり取られる三十代を経て、著者と出会い、プラトニック結婚をする。

10時過ぎに会計をし、外に出た。

バス乗り場にあるベンチに座り、読書を続ける。

夫は、脱疽という病気を患っており、痛みをなくすには足を切断するしかないと言われていたが、それをせず、痛みと共に生きることを選んだ。

給料をむしり取った宗教家の先生は、戦後に亡くなったが、夫によると、先生の人柄は最低だが、教えは尊いのだと言っていたそうだ。

読む前に思っていたのとはまったく違う内容だったが、かえって良かった。足の痛みという部分は、今夜の自分にも通ずる。まあオレは、神社の穴ぼこで足を挫いただけだが。

11時半過ぎにバスが入ってきたが、一つ早い便だった。しかし、いったん立ち上がってうろうろしたため、ベンチを他の人に取られてしまった。

足の痛みは夕方に比べるとかなり軽減していた。テーピングをしたことで、腫れが抑えられたためだろうと思った。

11時55分に目的のバスが来た。行きの時よりゆとりのある席だった。すぐにスマホの充電をセットした。しかし、音楽やラジオを聞く気にはならなかった。店で本を読んでいる時から、字面を追っていると、眠気でウトウトする瞬間があった。深夜バスに乗るにあたって、眠気は重要な要素だ。逃げないように捕まえていた方がいい。

出発してからすぐ、目をつむった。案の定、頭の中が眠気で靄に包まれたようになった。