仕事と自分の関わりについて今日も色々と考えた。
生きた金という言葉があるが、これとまったく正反対の金はずばり、あぶく銭だろう。
自分の場合パチンコを長くやっていた関係で、このあぶく銭というものに縁が深かった。
悪銭身につかずというが、あぶく銭が悪銭なのかどうかはともかく、身につけようとすると途端にどこかへ消えてしまうのがあぶく銭である。
そしてこのあぶく銭は、金銭感覚というものにとっては害毒以外の何者でもない。
パチンコで月単位勝っていくためには、当然のことながら全勝を狙うわけにはいかない。
負ける日があるのは絶対に仕方のないことなのだ。
つまりそういう日は、負け分をいかに少なくするかに神経を注ぐわけで、それが1万円以下に収まればラッキーだし、4万円を越えてしまったらアンラッキーということになったりする。
長期的視野に立って勝負に出るためには負け試合のしのぎ方も身につけなくてはいけないのだった。
だがこの感覚が身に付いてしまうと、1万円や2万円の負けを、負けと思わなくなってくるのだ。
もちろんそれは負けには違いないのだが、数ある負けのうちでは大したことのない負けであるというふうに認識されてしまうのだ。
その感覚が日常に持ち越されると悲惨なことになる。
ものの値段の価値がわからなくなるから、細かい倹約をしなくなり、会計にまつわる諸々に対して異常におおざっぱになったりする。
当然、仕事にも身が入らなくなってくる。
生きた金と労働が自分の中で結びつかなくなるのだ。
そういう苦しい思いをしてきたが、なぜかここ数年まったくパチンコをしなくなった。
原因はたばこをやめたことにあるようだ。
パチンコ屋は喫煙天国であり、店にはいるとたばこの煙が充満し、3分もいれば服にはたばこの臭いが染み付いてしまう。
そういう空間にいることが、これまでと違って耐えられなくなったのだ。
そういえば初めて吸ったたばこは、ハイライトだった。
それも、たばこの景品だった。
俺の場合、たばことギャンブルが二つで一つのセットになっていたらしい。
たばこをやめた時、はからずもギャンブルをやめていたのだ。
だが、20代のうちほぼ2年周期ではあったがパチンコにかなり真剣に取り組んできたという事実は、現在の自分に何らかの影響を及ぼしているはずである。
それが何なのかわかるまで、もう少し様子見だろうか。
夕方、稽古場がわからず往生する。
健ちゃんと堀内君にメールをして場所を聞く。
南中野だった。
宇原君演じる伊藤という役の稽古を中心に行う。
エチュードでリラックス状態の会話をしてもらった後、さまざまな状態での「伊藤」をやってもらう。
結局、痛みにうめいている状況の伊藤が面白かったので、その方向を突き詰めてみようということになる。
稽古場はとても狭く、まるで屋根裏部屋みたいだったが、そんなことよりも暖房が効いていないということの方が問題だった。
9時を過ぎた頃には参加者全員が「寒い」と言い始めた。
宮部みゆき「R.P.G」読了。
「こけおどし」ではないどんでん返しには脱帽。
11時帰宅。
洗い物を済ませ、先日作ったイカの塩辛の味見。
塩が足りなかったかもしれない。