トツゲキ観劇

7時の目覚ましで起きられず。
米も炊かず弁当作りも朝飯もなし。

9時から仕事。

昼、カップ麺食べる。
そんな昼飯は久しぶり。

午後、中途半端に手があいた。
作業がひとつあったが、土日をまたぐと厄介だったので、本丸には攻め込まず、お堀をちょと埋めるだけにする。

6時過ぎにあがり、池袋へ。
シアターKASSAIにてトツゲキ観劇。

プロローグのような場面の後、映像でキャスト名などが流れてたのに驚いた。
 
台詞は入ってくるのだが、それを物語としての全体像に結びつけ辛かった。
相手の台詞の語尾を食い気味に、自分の台詞を言う繰り返しで、いわゆるテンポを良くしていたのだが、相手の台詞の反射として食うのではなく、テンポを良くすることを目的として食っているように聞こえ、会話になっていない箇所が多かった。
映像が暗く、人物が何をしているのかわかりづらかったのも、マイナス要因。
TVモニターをいくつか用意して、舞台と客席のあちこちに設置すると、もっと見やすかったのではないか。
如月小春作品のような演出だが。

3.11をテーマに、というか、モチーフにした作品であることは間違いないのだが、対象に直球勝負で切り込まず、周囲をめぐりながら、ある種のさりげなさで表現しようと試みる台本だった。
だが、横森さんは、直球でぐいぐい書いた方が、良い部分が出る人ではないだろうか。

あの震災で失ったもの、この四年間が埋めてきたもの、埋められなかったもの。
忘れたくても忘れられないこと。
それにも関わらず、こぼれ落ちるように忘れられていく断片と、拾い集める努力。
そうしたことを直感的に書いた方が、ストレートに胸に届くような気がする。
初めて見た「リ:ライト」は、そんな作品だったと思う。

今回の場合、作者が苦労してきた部分を役者も背負い、結果として役者が抱く悩みとは違う類いの悩みを抱いている役者が多かったと思う。
こういう作品だからこそ、あえて何も考えず、その役の見える視野のみに集中する方が、全体の演技は良くなっていたかもしれない。
田中ひとみさんが、とても普通の芝居をしていて、見ていて安心出来た。

知恵、トシさん、見に来ていた。
飲みに誘われ、天狗酒場へ。

10時過ぎに、出演者がぞろぞろ到着。
綾香、堀口さんと、芝居の話をする。

堀口さんは、マグの「ウーララ」でやった役の印象と重なって見えた。
「古典をやって欲しい」
と、リクエストする。
それこそシェークスピアのマクベス夫人とか。
新劇的アプローチが、新劇とは違う、堀口さん独特の良さを出すんじゃないかと勝手に思っている。

綾香については、昔から知っているということが、マイナス要因になっている。
俺にとっても、綾香にとっても。
心情的に、肉親に近いところから批評してしまうところがどうしてもある。
そのつもりはなくても、言葉がそういう風に響いてしまう。
綾香が、わかってもらいたいと思っている成長と、俺が、そうあって欲しいと思う成長のずれは、年々大きくなっている。
そして、肉親に近いところからされる批評は、される側としてはうっとうしい。
意見を言う先輩という立場から、まず俺が引退するべきなのだろう。
腹を決めよう。

ちょっとだけ飲んで帰るつもりだったが、帰宅したのは12時過ぎだった。
7月のトツゲキ、久しぶりに客演でお世話になることになった。
しかも初めて見た「リ:ライト」の再演。
楽しみだ。
台詞を喋ることに今は飢えている。